サッカー元日本代表の巻誠一郎さんは、2016年に地元・熊本で発生した地震を機にNPO法人『YOUR ACTION』を立ち上げました。物資の提供や、子どもを対象としたサッカー教室の開催など、多岐にわたる活動は、2019年のHEROs AWARDに輝きました。
この受賞をきっかけに、日本財団 HEROsは活動を支援。巻さんも他の日本財団やHEROsの取り組みに参加するなど、活動の幅を広げています。
今では積極的な社会貢献活動を展開する巻さんですが、かつては「社会に関心のない人間だった」そうです。転機となったのは“海外移籍”と“熊本地震”。活動を開始したきっかけから、地元熊本への思い、そしてアスリートの持つ価値について伺いました。
長らく気づかなかった“巻誠一郎の価値”
-巻さんといえば、社会貢献活動に積極的に取り組んでいる印象が強くあります。現役時代から競技以外への意識は高かったのでしょうか?
いや、現役時代、とくに若い頃は社会に関心の無い人間でした。自分のやりたいサッカーに集中して、エネルギーを使いたいと思っていたんです。
記者やファン・サポーターの方とコミュニケーションを取ることも少なかったので、「愛想の無いやつだな」と思われていたかもしれません(笑)。
-そんな状態から、活動をはじめるきっかけになったのは?
海外移籍と、熊本地震ですね。
-まずは海外でのエピソードを聞かせていただけますか?
当時所属していたジェフユナイテッド市原から、2010年にロシアのアムカル・ペルミに移籍し、翌年は中国の深圳紅鑽足球倶楽部でプレーしました。どちらの地域も日本人がほとんどいなかったのですが、代理人もつけずに一人で飛び込みました。
日本では多少なりとも僕のことを知ってくれている人がいて、困ったことがあれば手を差し伸べてくれました。しかし、海外では違います。声をあげても助けてくれる人はほとんどいません。
孤独を経験して、日本にいるときにサッカー選手として認知されていた自分の価値は、貴重なんだと考えるようになりました。
ーそれまではあまり自分自身の価値を見出していなかったと。
そもそも目立ちたくなくて、街で声も掛けられたくないし、そっとしておいてほしいと思っていました(笑)。「日本代表にサプライズで選ばれた巻誠一郎」と認識されるのも嫌でしたね。ただ、海外に行って、それは当たり前ではないんだなと気づいたんです。
中国での経験も、僕に大きな影響を与えました。中国の方は、行動力が尋常じゃないんです。不可能を可能にする街といった感じですかね。とりあえずやってみて、できるかどうかは後から判断する。そんな文化に触れました。行動する前に失敗のリスクを考える日本とは違った環境で生活して、刺激を受けました。
-海外での経験を経て、ご自身の姿勢も変わりましたか?
変わりましたね。自分の価値、やりたいこと、そして求められていることが何なのかを考えました。
帰国後に加入した東京ヴェルディには、若い選手が多く所属していました。自分に求められているのは、経験を伝えること。だから、自分から積極的にコミュニケーションを取るようにしました。今までは考えられないくらい、チームでの立ち位置を意識するようになりましたね。
またヴェルディ時代は、違った角度から社会との繋がりを感じることもできました。当時、僕は千葉の自宅から東京の練習場まで電車で通っていたんです。行きも帰りも満員電車2時間半。いっしょに電車に揺られて、サポーターの方がどういった気持ちで週末にスタジアムに来ているのかが、よく分かりました。
平日は大変な仕事をして、少なからずストレスもあるでしょう。そんな中、週末は好きなクラブ、選手を応援するためにスタジアムに来ているんだなと。貴重な時間やお金をかけて応援してくれる皆さんに対して、下手なプレーはできないなと思いました。サッカーと社会の密接な繋がりを実感しました。
-2014シーズンに加入したロアッソ熊本時代に、もう一つの転機である熊本地震を経験されていますね。
地元の皆さんといっしょに被災して、自分にできることを考えました。県民の皆さんが立ち直るために活動したいと思ったんです。ここで自分の価値を使わなくて、いつ使うんだと。なりふり構わず、これまで培ってきたコミュニティを最大限活用しました。
知り合いの経営者の方に物資を提供していただいたり、倉庫を貸していただいたり。すると、サッカーファミリーの皆さんにも「巻が物資を集めている」という噂が広まって、多くの方が協力してくれました。与えられた仕事は、責任をもって全うしようと思いました。
子どもたちが、夢をあきらめないために
ー物資を集めるほかに、どのような活動をしていましたか?
子どもを対象にしたサッカー教室ですね。サッカー選手は、子どもたちにとって憧れの職業です。以前からサッカースクールをやっていたのですが、災害で家や仕事がなくなってしまうと、スクールを辞めざるを得ない子どもたちも少なくありません。どのような状況でも、夢をあきらめてほしくない。そんな思いで、被災地の子どもを中心に、夢を育むためのプログラムを熊本で展開しています。
ー「夢を育む」とは。
課題を見つけて、解決する能力を養うことですね。サッカーは、課題解決能力をつけるのに最適なツールだと思うんです。そもそもボールを足で扱うので、上手くいかないのが当たり前。そのうえ、課題に対してチームで解決策を見つけなければいけません。
それらのスキルは、サッカー以外にも必ず役に立ちます。地元のことを考えて、より良い街をつくってほしい。そういった循環を起こせるようなアプローチをしたいと思っています。
HEROsアスリートの活動が刺激になった
ーHEROsと活動しはじめたのはいつからなのでしょうか?
2019年のHEROs AWARDがきっかけです。それまでは自分の活動に集中していたので、HEROsの存在や他のアスリートの活動はあまり知りませんでした。しかし、AWARDでユニークな活動を目の当たりにして、すごく刺激を受けました。
ー具体的な取り組みは?
基本的には、僕のプロジェクトを支援していただいています。それ以外にも、日本全国で災害が起きたときは、スポーツを通じて地域を元気にするための活動を一緒に展開しています。
また、日本財団さんの『子ども第三の居場所プロジェクト(※)』にも協力させていただきました。子どもたちのコミュニティづくりや自立、協調性を養うにもさまざまな方法があります。その中でも、スポーツとプロジェクトの相性はすごくいいのではないかと思ったんです。
相手からパスがきたら、ボールを蹴って返しますよね。そこに言葉は必要ありません。それだけで、コミュニケーションが成立するんです。
※子ども第三の居場所プロジェクト:日本財団が展開するプロジェクト。行政や企業、市民など社会全体が協力し、困難な状況に置かれた子どもたちの自立を目指す。
<参考>
https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/child-third-place
社会から取り残されてしまう子どもたちは、どうしても存在します。そういった子を見逃さずに手を差し伸べてあげられるのが、『子ども第三の居場所』です。そこにスポーツを取り入れることができれば素晴らしいなと思い、協力させていただいています。
社会のためだから、最大限の力が出せる
ー多くのアスリートが関わっているのがHEROsの特徴ですが、アスリート同士で交流はあるでしょうのか?
車いすバスケ元日本代表の根木慎志さんが開催したイベントに参加させていただいたことがあります。そのほかにも、ハンドボールの東俊介さんとも深く交流があります。皆さんから、良い刺激をいただいています。
ーアスリートが社会に還元できる力については、どのようにお考えですか?
課題解決能力は武器だと思います。一方で、競技生活で培ってきたその能力を、社会に役立つ分野に変換する能力は求められますね。
そういった意味でも、現役時代から競技以外の活動に取り組むことは良いことなんじゃないかなと。社会との接点、繋がりをつくっておくことで、自分の価値を最大限に発揮できると思います。
ー最後に、今後はどのようなとりくみをし、取り組んでいきたいですか?
サッカーを通して世の中を良くしていける方法を考えていきたいです。今も、競技生活の中で培ってきたことを、社会のために変換しているだけなんです。
HEROs AWARDは、スポーツやアスリートの力が社会課題解決の活性化に貢献していることを社会に周知することで、活動を応援、また共に活動してくれるファンを増やし、社会貢献活動をより多くの人々が取り組むようになることを目指し実施しております。
https://sportsmanship-heros.jp/award/
本取材は、ステークホルダーとHEROsのかかわりを紹介するために実施されました。
HEROsプロジェクトに関してはこちらのデジタルパンフレットをご確認ください。