元サッカー日本代表主将の宮本恒靖さんは、1990年代に民族紛争があったボスニア・ヘルツェゴビナで異なる民族の子どもたちが一緒に活動できるスポーツアカデミー『mali most』(マリモスト=現地の言葉で「小さな橋」の意味)を2016年に設立しました。2017年に開催されたHEROs AWARDでは、スポーツを通じて民族間の信頼関係構築を目指すプロジェクトが評価され、HEROs OF THE YEAR 2017を受賞しました。

マリモストの構想のきっかけとなったのは、宮本さんが現役引退後の2012年に留学した国際的なスポーツ団体やスポーツクラブで活躍できるマネジメント人材を育成することを目的としている「FIFAマスター(国際サッカー連盟「FIFA」が主宰する修士課程)」です。

宮本さんは、同期生5名のグループでアカデミーをテーマにした修士論文に取り組み、修了後に実現に向けて動き始めました。

プロジェクトの構想スタートから今年(2022年)で10年。現在では合計で約80名の子どもたちが通っています。ここ数年は新型コロナウイルスの影響もあって、現地での活動に参加することができなかったそうですが、今年の9月に久しぶりに現地を訪問して改めて現地での活動に参加してみてプロジェクトを継続している意義を実感したと語ります。

日本から遠く離れたボスニア・ヘルツェゴビナで取り組みをはじめた経緯や、継続できている理由について伺いました。

FIFAマスターでの学び

ボスニア・ヘルツェゴビナでの活動を始めたのは、FIFAマスターの修士論文がきっかけです。私はFIFAマスターの13期生に当たるのですが、同期は24カ国から30名が集まっていました。修士論文のグループは入学する時には既に割り振られていて、私はスイス人の男性(アレックス)、スウェーデン人の女性(ナタリー)、ポルトガル人の男性(ルイシュ)、そしてボスニア・ヘルツェゴビナ人の女性(アリアナ)と一緒のグループになりました。

それぞれが異なるバックグラウンドを持っていた中で、「こういうテーマに取り組みたい」と意見を出し合いながら、時間をかけてそれぞれが納得するテーマに決まって、民族間の紛争がある地域でスポーツがどういった働きができるのかトライしてみようということになりました。

研究のタイトルは、『ユーゴスラビア紛争後に民族が分断されてしまったボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル市に子供対象のスポーツアカデミーをつくり、スポーツを通して民族融和を進めることは可能か』というもの。ボスニア紛争の中でも象徴的な激戦地の一つである南部の街モスタルに民族共存のためのアカデミーを作ることを目的としたフィジビリティスタディ(実現可能性調査)に取り組みました。

ボスニア紛争と現実

日本ではボスニア・ヘルツェゴビナと言ってもあまりピンとくる方は多くはないかもしれませんが、サッカーでのつながりは意外と多くて、サッカー日本代表で監督を務めたイビチャ・オシムさんやヴァイッド・ハリルホジッチさんはボスニア・ヘルツェゴビナの出身ですし、日本代表チームも何度かボスニア・ヘルツェゴビナ代表と対戦しています。

ただ、一般の方にはサッカーよりも「ボスニア紛争」のイメージが強いかもしれません。紛争前のユーゴスラビアは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と言われるほど民族的な多様性に富んだ国です。歴史的にも地政学的にも難しいエリアとして有名で、「バルカンの火薬庫」と呼ばれていました。島国で育った日本人にはなかなか想像しづらい状況だと思います。
 
ボスニア紛争は、ボスニア・ヘルツェゴビナが旧ユーゴスラビアから独立しようとしたことで民族対立が激化して起こりました。二十万人以上が亡くなったと言われていて、第二次世界大戦終了後の欧州では最悪の紛争と言われています。私たちが活動している南部の街モスタルも、激しい市街戦が繰り広げられた街として知られています。
 
紛争終結から25年以上が経過しましたが、民族間の対立感情は国内の至る所に残っていて、その影響が国の政治や教育にも色濃く反映されています。
例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナの国家元首はボシュニャク(イスラム系)、クロアチア(カトリック系)、セルビア(セルビア正教系)といった三つの主要民族から構成される大統領評議会ですが、その議長は8ヶ月ごとに交代するという輪番制が敷かれています。

また、教育課程も民族ごとに異なるため、基本的に民族によって学校は別々ですし、同じ校舎を使っていたとしても建物内で別々に事業を受ける「Two schools under one roof(一つに屋根に二つの学校)」制度が実施されたりしています。学校だけでなく子どもたちが通うスポーツクラブも別々なので子どもたちは同じ言語を話していても他の民族の子どもたちと知り合うきっかけがないのが一般的です。
 
私たちが推測したのは、子どもたちに最初から他民族に対する対立感情があるわけではなく、分断されて育っていく過程で上の世代の対立の影響を受けてしまうのではないかということでした。そこで、ボスニア・ヘルツェゴビナでは一般的ではないどんな民族の子どもでも一緒に活動できるアカデミーを作ることにしました。

小さな頃から他民族の子どもたちと一緒にスポーツを楽しむことが普通になっていけば、少なくても活動に携わった子たちは他民族に対する対立感情を抱くことは少なくなるのではないかと思ったのです。

心強かったオシムさんの存在

2013年の7月に修士論文を発表してなんとか無事にFIFAマスターを修了しました。帰国してから、その当時に担当していた日本の新聞のコラムに、FIFAマスターでこういう研究をしたということを執筆したところ、在ボスニア・ヘルツェゴビナの日本大使館や、国際協力機構(JICA)のボスニア・ヘルツェゴビナの担当部署から、「ぜひこのプロジェクトの実現に向けて動いてみませんか?」と言ったありがたい申し出を受けました。

そのことをプロジェクトのメンバーにも伝えたところ、実現に向けて動き出そうということになりました。
 
ただ、実現するにしても、自分達のプロジェクトでは一時的なイベントを運営するのではなく、恒久的なアカデミーを作る必要があると考えていました。そのためには、運営する費用も必要だし、子どもたちが日常的に使用できる施設も必要になる。メンバーがボスニア・ヘルツェゴビナに住んでいるわけではないので、現地で実際に組織を作って異なる民族の子どもたちが一緒に活動するためには安定した運営も実施していかなければならない、実際に運営を担当するバランスの良いマネージャーやコーチも雇用しなければならない−。

私たちが知る限り、そんなプロジェクトは前例もないし、デリケートな問題だから慎重に進めなくてはいけない。
 
そんな中で心強かったのは、元サッカー日本代表監督だったイビチャ・オシムさんの存在。強いカリスマを持っているサッカー指導者で、日本でも大勢の選手や指導者が大きな影響を受けましたし、サッカーファンの間でも根強い人気を持っている方なのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナをはじめとする旧ユーゴスラビア諸国では唯一無二な存在として、どの民族からも尊敬されている稀有な人物です。

アカデミーの方向性や、現地での仕事の進め方、注意すべき点などオシムさんにサポートしていただいて、さまざまなアドバイスを頂けたのはプロジェクトにとっても非常に大きかったと思います。

 2014年の2月にFIFAマスターのメンバーと一緒に初めてボスニア・ヘルツェゴビナを訪れました。サラエボで政府の関係機関を訪問してプロジェクトのプレゼンテーションを実施したのですが、全くと言って反応は良くありませんでした。「実現したら素晴らしいプロジェクトだと思いますけど、本当に実現できると思っているのですか」といった感じで。「良いプロジェクトだと思うけど、あなたたちが考えている以上に現地の感情は難しいですよ」といった反応でした。あまりの感触の悪さに、ミーティングの後にサラエボの街中を歩きながら頭を抱えたのを覚えています。 ただ、翌日に実際にプロジェクトを実施しようと考えていたモスタル市を訪問してみると、現地のスポーツ協会の会長から「実現は難しいかもしれないけど、このプロジェクトには大きな意味がある」と言っていただいてバックアップを約束してくれました。

そこからさまざまな紆余曲折を経て、全然話がまとまらずに1年近く前に進めなかった時期などもありましたが、日本政府による「草の根文化無償資金協力」なども得ながら、2016年10月に正式にマリモストのクラブハウスをオープンできました。
 
2017年の夏にはマリモストの子どもたち10名を日本に招待して日本の子どもたちとの交流事業を実施できましたし、2018年には逆に日本の子どもたち9名をモスタルに連れて行って交流をしました。「うちの子どもたちが昨年日本でお世話になったんだから」と保護者の方々も民族を超えて協力して日本の子どもたちのために盛大なBBQパーティーを開催してくれました。子どもたち同士の民族を超えた交流が、保護者にも良い影響をもたらした事例だと思っています。

2020年の東京オリンピックの際にも交流プログラムを実施することを予定していましたが、新型コロナウイルスの世界的流行の影響もあって中止となりました。今後すぐに再開することは難しいかもしれませんが、時機がきたらまた開催したいと思っています。

マリモストが街の空気を徐々に変えることができている

プロジェクト自体はうまく行っているように見えますが、実際に感じているのは民族間の溝はすぐに埋まるものではないということです。ボスニア紛争は20万人以上が亡くなった紛争であり、特に紛争を経験している30代以上の方々はそれぞれにさまざまな思いを抱えています。

サラエボやモスタルの街にある墓地では没年が1992、1993、1994と書いてある墓標が多く立っています。多くの方が紛争中に亡くなられていることを示しているのですが、近年でも新たに山中から多くの遺体が発見されたといった報道があったり、民族対立感情が発端となる事件が起こったりすることも少なくありません。

マリモストの活動に参加してくれている子どもたちの保護者は、「民族間の対立を次世代に持ち越さないようにしたい」と考えている方が多いものの、ボスニア・ヘルツェゴビナの中の代表的な世論を代弁しているわけではありません。まだまだ民族間の分断が続いているというのが一般的です。

私たちの活動についても「多民族の子どもたちが一緒に活動するアカデミー」と広報しているわけではないため、活動を始めた当初はアカデミーの見学に来た保護者の中にも「あいつら(対立する民族)と一緒に活動するなんて考えられない」と怒って帰られる保護者も少なくありませんでした。
それでもこれまで地道に活動を継続してきたことで、モスタルの人々の中でマリモストの認知度は上がってきていると思います。

街の中心部、市役所のすぐ横のクラブハウスでマリモスト主催の大会に各民族のチームを招待したり、他のスポーツクラブのトレーニングにも貸し出したりすることが、異なる民族の子どもたち同士の物理的接触の増加に繋がりました。クラブハウスのカフェスペースで保護者同士の交流も生まれてきていて、マリモストが街の空気を徐々に変えることができていると感じています。

今年(2022年)の9月に久しぶりに現地へ足を運びましたが、数年前はまだ小さかった子どもたちが大きくなった今でもアカデミーに足を運んでくれている姿を目にしました。そこに広がっている光景を見て、ようやくここまでと感慨深く感じましたし、当初の構想から10年近く経ち、新しい世代も巻き込みながらアカデミーが継続できているのは本当にうれしく思います。

これまでに活動を支援してくれている個人支援会員の皆様、ずっとサポートし続けてくれている企業、外務省、大使館、JICAなど、たくさんの方々の支援のおかげです。私たちの活動は一見したところ本当になんの変哲もないスポーツアカデミーなのですが、私たちの活動の趣旨を理解して支援していただいていることに本当に感謝しています。

将来的には現地のメンバーに運営を委ねるというのを目的にしているのですが、運営にかかる費用をどう捻出していくかというのは考えていかなければなりません。現地の企業はどうしても民族色が色濃く出てしまいます。例えば、ミネラルウォーターを一つ買うのでも、「これはボスニアの水、これはクロアチアの水、こっちの水の方が良い」と言った会話が冗談のようにされることもあります。現地の企業のバランスを検討する必要があり、なかなか前に進みません。

そういった状況ですが、一般的に日本でボスニア・ヘルツェゴビナの認知度が高くないからこそ、関わりの深い部分であるスポーツやサッカーの魅力やそのチカラを通じて広報していくことは大切にしていきたいと考えています。

社会問題を知り、行動することでキャパシティが広がる

2017年にHEROs AWARDを受賞したことで、この活動に興味を持ってもらえたり、サポートしたいと言っていただける方が増えました。

社会に貢献したいと考えているアスリートも多くいると思いますが、まず何から始めれば良いのかと迷っているケースも多くあると思います。そんなときこそ、お互いの活動や考え方を知ることが重要です。HEROsの取り組みでアスリート同士の横の連携を強くしていくことで、一緒に活動したり、行動を始めたりするきっかけになると思います。
 
アスリートとしては競技を第一に考えるべきだと思いますが、アスリートは社会と無関係な存在ではありません。社会問題を知り、行動することによって、人としてのキャパシティも広がっていくと思います。自分自身の存在が社会で触媒となって色々な行動を引き起こせるチカラがあることを感じられると思います。その時にアスリートとしての自分が持っているチカラの大きさに気づき、今後の可能性についても見えてくるのではないでしょうか。
 
私はサッカーを通じて、フェアプレーやリスペクト、ルールを守るなどの規律(ディシプリン)、そのほかにもたくさんの大切なことを教えてもらいました。これは競技だけでなく社会を生きていく上でも大事な価値観だと思います。

日本の社会、そしてスポーツを取り巻く環境は年々変わってきています。アスリートも変化に適応していかなければなりませんし、社会的な責任も大きくなっています。スポーツが持つチカラが世の中を良くする可能性があることを、この活動を通じて伝え続けていきたいです。