(取材日:2022年3月14日)

 「翼がゆく~スポーツの力を探る~」は、元プロバスケットボール選手の小原翼が、様々な分野に転身を果たした元アスリートに、インタビューする企画です。インタビューを通して、アスリートが何を考え選択し、歩みを進めているのかについて迫っていきます。第10弾として、今回は、元バスケットボール日本代表で、現在フィットネスクラブブルーゲートヨコハマを経営する伊藤俊亮さんと、一緒に働く和田さんにお話を伺いました。フィットネスジムを経営する元バスケットマンが、いつ何をどう決断し今に至っているのか、そして「アスリートならではの力」を紐解きます。

インタビュイー:伊藤俊亮さん
神奈川県出身。中学生からバスケットボールを始める。中央大学在籍時に日本代表として初選出。その後、長きに渡りバスケットボール界を牽引。引退後は千葉ジェッツのフロントとしてて従事。現在はフィットネスクラブブルーゲートヨコハマを経営。

インタビュアー:小原翼
神奈川県出身。2017年~2021年までプロバスケットボール選手として活動し、2021年6月にBリーグ横浜ビー・コルセアーズにて引退。現在、日本財団HEROsに在籍。

(以下敬称略)

最初からプロになりたかったわけではない

ーー伊藤さんの経歴を教えてください

伊藤:神奈川県の大和高校出身で、バスケットボール部は地区予選敗退くらいのレベルでしたが、たまたま国体選手に呼ばれたのをきっかけに全日本のセレクションまで選ばれ、その後、中央大学に進学しました。中央大学には総合政策学部というもともと受験しようとしていた学部があり、大学から推薦のお話をいただいた際に、学部を選んで良いと言われたので決めました。

実は学生時代、最初からプロになりたかったわけではなく、中学校でも、高校でも大学でもバスケを続けられないだろうと思っていた中で、バスケを続ける選択肢が出てきて、そのタイミングがぴったり合ったので続けてきました。正直、大学でも2年くらいでバスケ部を辞めると思っていました。

大学3年の終わり頃、当時全日本代表監督の吉田健司さんに声を掛けられ、全日本の合宿に行ったのをきっかけに、社会人チームの東芝でもバスケを続けることになりました。

ーー当時はプロチームだったのですか?

伊藤:当時はプロチームではなく、練習もしながら会社員業務もしていました。品質保証部だったので、工場勤務で製品の不具合が出た際の対応など品質の管理していました。

その後、2008年頃にプロチームの栃木ブレックスがJBL参入をきっかけに、たまたま声を掛けてもらいプロ選手になりました。バスケ人気を伸ばすためには、バスケットボール界にはプロ化が必要だと思っていたので、やっと光が見え始めた頃でした。

選手としてのキャリアの中で、東芝・栃木・三菱・千葉と4チーム渡り歩き、会社員として実業団チームでプレー、プロ選手としてプレー、実業団チームにプロ選手としてプレーもして、色んな立場で全部経験しています。

交渉の中で、引退後の姿を想像

ーー引退のきっかけは何ですか?

伊藤:引退は、純粋にもう体が動かないという理由でした。どこか痛めながらプレーするしかなくて、自分が思うパフォーマンスができなくなってしまったのが理由です。

若い選手と同じ練習ができなくなったら引退だと思っていました。

若い選手に教えたりバックアップしたりする時に、若い選手と同じ練習ができないと口だけになってしまうのが嫌でした。

実際は千葉ジェッツと3年契約をしていて、もう1年は選手としてプレーできたのですが、当時千葉の社長の島田さんから「ちょっと早いけど、もし良かったらフロントの方で一緒にやらないか?」と言われ、部長職のポストをもらい、法人営業をやるとのことだったので、「そこまで考えてもらえているんだったら頑張ってみたい」と決意しました。

ーー伊藤さんがフロント業務をやりたいという思いは伝えていたのですか?

伊藤:それは前から伝えていました。

実は栃木から三菱に行くと決断した際に、千葉からオファーがあったのですが、一旦ご縁が無かったということでお断りしていました。

その時に、島田さんから「いつかは選手として取りたい」とお話をいただいていたこともあり、三菱を辞めた後のBリーグ初年度に、ベテランビックマンを補強したいということで再度オファーをいただきました。

交渉する中で、「実はビジネスもやりたいので、もし可能であれば引退した後にフロントとして取ってもらえないですか?」と頼みました。「経営のことも勉強したいし、ジェッツの経営に携わってみたいです。」と。そしたら、「確約はできないけど、経営のことは教えることはできるし、フロントスタッフとして取ることは問題ない」と言ってもらい、そこで千葉に移籍することにしました。

ーービジネスをしたいと考えてたのはいつ頃からだったのですか?

伊藤:会社の経営をやりたいと思ったのは小学校の時からです。父親がいろいろ事業をしていたので、いつかは自分もそんな人生を歩んでみたいなと思っていました。なので、東芝に入る決断をしたのも、大きい企業がどうやって動いているのか見たかったので選びました。

契約選手で条件を提示されていたけど、そちらの選択はしませんでした。

クラブの魅力を高め、クラブの「熱」をお客さんに伝え、クラブを愛してもらうことは、全く同じ

ーーブルーゲートを始めたきっかけは?

伊藤:1年ちょっとフロントとして働き、その後家族と一緒に横浜に戻ってきて、父の不動産業を引き継ぎました。ビジネスをやる上でも、お金の回し方や不動産の管理を考えると非常に勉強になりました。

でも、不動産をやりながら、いつかスポーツに戻りたいなという思いがありましたまた、バスケットに恩返しできていないという思いがあり、スポーツ関連の事業を検討していた中で、一番しっくりくるのがフィットネスでした。

バスケ選手としてプレーし、フロントとしても携わり、不動産もやって、それをどう活かすか考えた時に、フィットネスの業界が一番マッチしていました。

プロスポーツとフィットネスは、どちらも個人会員や法人会員があり、そのマネジメントをしながらクラブの魅力を高め、クラブの「熱」をお客さんに伝え、クラブを愛してもらうことは、全く同じだなと思います。

また、フィットネスクラブのビジネスモデルは、場所を時間貸しするという事業モデルなので、不動産業とリンクしているし、館内を管理するところもビル管理することを活かせると思えたので始めました。

今までの当たり前が、そうではないことを学んだ

ーースポーツ経験が今の職で活かされていることは?

伊藤:自分を売り込むことと、商品を売り込むことは営業として同じです。売り込むために、自分や商品を理解して、自分が所属している会社がどういうものか理解して説明するというひとつひとつの作業が似ていると感じました。それを今までスポーツで活かしてきたので、今度はビジネスの場でそのサイクルを活かすだけで、売る商品が変わっただけだと思います。

ーー続いて、一緒に働く和田さんに質問です。率直に、伊藤さんの魅力を教えてください!

和田:お会いした時からビジョンが凄い明確でわかりやすく、芯のある人だと思いました。

このお店だけじゃなくて、地域に密着した取り組み、この土地柄を理解して、周りの商業を巻き込んでみんなで大きくしていこうというビジョンが凄いと思います。

ーー伊藤さんが他の社長さんとは違うなと感じることは?

和田:途中で会社が変わり、伊藤さんが入ってきたことで、今までの当たり前が、そうではないことを学びました。「そこをいい意味で変えていこうよ」「そこはそうじゃなくても良いんじゃないか」ということを伊藤さんから言われ、「あっ、そういうこともあるのか」「もっとこういう風に変えて良いのか」とガラッと変わりました。視点がやっぱり全然違うので、「そんな考え方があったんだ」と今までと違うと感じました。

伊藤:「みんながやっているから」とか、「今までこうしてたから」とか、この会社では言わないようにしています

競争することで自分を高められることがスポーツの一つの魅力

ーースポーツの価値

伊藤:観るスポーツ・やるスポーツの違いがあるかなと思います。競技をするということは、競争があって初めてスポーツと言えます。その面白さを感じてもらうために、いろいろ伝える必要があります。知らない人からすると競技をただやっている人にはその魅力は伝わってこないんですよ。

今までは、テレビやメディアが伝わりやすいように砕いて伝えたのですが、今はSNSを使い人々に伝えることができるので、自らで発信することが重要です。

競争するためにどんな準備をし、どんなパフォーマンスをしているのか理解してもらうことが一番の本質だと思います。やっぱり競争することで自分を高められることがスポーツの一つの魅力だと思います。

バスケットは狭いコート内で、球技の中でも一番大きなボールを使うので、すごく観戦しやすいスポーツです。でも、速すぎてどこを見て良いかわからないと言われやすいスポーツでもあります。

バスケットに全然興味がない人でも会場に来て面白いと思ってもらうために、何が必要で、届けるにはどうしたら良いか考えるのがすごく好きでした。それがTwitterに活きていたと思います。

ーーいつ伝えることが重要だと気づきましたか?

伊藤:もともとブログやっていて、「選手側からもっと何か伝えなきゃな」という思いはずっとありました。

でも、正確に伝えることが大事だと思ったのは千葉に来た時です。

Twitterはいろんな人が「ハッシュタグ#」を通してパッと繋がれるツールです。たまたま出てきたネタツイートに絡んでいくことで、自分とは関係ない分野の人たちと交流ができ、バスケットボール選手だと知られるとより面白がってくれます。それをきっかけに、色んな企業と繋がり、その方々が会場に来てくれることでバスケットを広げられたので、その時に伝えることが重要だと一番思いました。

自分にはこれしかなかったと言っちゃいけない

ーーアスリートのセカンドキャリアの課題に対して、アスリートはどうしたら良いか?

伊藤:アスリートは特殊な職業ではあるものの自分たちも社会の一員という自覚を持つことが重要です。アスリートという仕事を通して社会と繋がっているからこそ選手として価値があると、社会から思ってもらえていると感じる必要があります。

それができないと、選手を辞めて全く違うフィールドに行った時にそのギャップに耐えられないと思います。実際に仕事をした時にうまくできないかもしれない。でも、受け入れるしかないじゃないですか。本当にやりたくないのであれば別のことをやれば良いし、自分がやるって決めたんだったら、やるしかないと思います。

そのためには自分にはこれしかなかったと言っちゃいけないと思っています。選択する時に、1つしか選択肢がないと後悔するので、いくつか選択肢を持つ必要があります。そのためには、社会と繋がり、自分の可能性を広げておき、その中から自分のキャリアを考える状態にしなければならないと思います。

これは選手の間でも一緒で、どこかに移籍する時に、1つしか選択肢がない状態で移籍すると必ず失敗します。1チームしかないのであれば、別の仕事をやる選択肢を作らなけばならない。どっちも本当に実現できる状態にすることが重要です。その状態で交渉に臨まないと低く見られてしまうので。

ーー今楽しいですか?

伊藤:めちゃくちゃ楽しいです。笑笑

千葉のチームでホームゲーム運営している時に、お客様を迎え入れて「ご搭乗ありがとうございます」と挨拶し、来場いただいたお客さまとお話しするのが好きでした。お迎えするために、より良いものを準備すること、それを考えることが好きだったとフィットネスやっている時も思います。こうしたらお客さんが来てくれるかなとか、この商品作ったらお客さんに喜んでもらえるかなとか考えるのがすごく楽しくて、またそういう仕事につけて楽しいです。

ーー伊藤さんにとってのスポーツとは?

伊藤:「人生のスパイス」「味付け」みたいなものですかね。そのままで食べられないことでもないですけど、あるとよりよい人生を楽しむことができるものです。

あとがき

イートンさん(敢えて当時の呼び名で)は僕が学生の頃から知っている選手でした。学生の頃に練習試合でマッチアップした記憶もあるし、現役時代にマッチアップした記憶もあります。

特に千葉の時は印象的で、色んな事に積極的に取り組んでいて、引退してからフロントに入ったことも鮮明に覚えています。

同チームメイトで、過去にイートンさんとも一緒にプレーをしたことがある現横浜ビー・コルセアーズGMの竹田謙さんからはずっと「翼はイートンに似ている」と言われ続けていました。

僕は現役当時から、引退後にコーチをやる選手が多い中で、他の選択肢に進む人やフロントに入る人が少ないなと思っていました。そんな中、フロントに入ったイートンさんに感銘を受けました。その時からイートンさんの考え方に興味があり、竹田さんに機会を作ってほしいと懇願しました。それが、今回インタビューするきっかけです。

お話伺う中で、選択肢の話に一番感動しました。1チームしか選択が無い状態で厳しい契約条件に追い込まれることはプロ選手”あるある”なので、もう一つ枠を広げる考え方は画期的だったし、重要なポイントだと感じました。その選択肢を作るために選手自体が現役時代から視野を本当の意味で広げることは重要だなと思います。そうすることで実は自分自身のプレーにも良い影響を与えるように感じています。

また「スポーツとは?」の回答の「スパイス」にとても共感しました。

「スポーツ」が人生の「メイン」ではないように僕も感じています。スポーツは人生をより良いものにしてくれる価値を持っています。ただ、皆さんの「メイン」があり、その味付けなんだと。「なるほどー」「深いなー」と思いながら聞いていました。

一緒に働く和田さんから、「今までの当たり前がそうではないんだ」と気づけたお話はとても貴重なことが伺えたと思います。ずっと同じところにいると慣れが出てきてしまって、その閉鎖的な中での常識があたかも世の中の常識であるかのように感じてしまうことが多々あるかと思います。それに気づけることが素晴らしいなと思ったと共に、そうアプローチできるイートンさんも素晴らしいなと思いました。

今回、先輩プレーヤーとしていろいろと重なる点が多く、自分の再認識としてもとても勉強になりました。

伊藤さん、和田さん、貴重な機会をありがとうございました。