(取材日:2021年10月25日)

「翼がゆく~スポーツの力を探る~」は、元プロバスケットボール選手の小原翼が、様々な分野に転身を果たした元アスリートに、インタビューする企画です。インタビューを通して、アスリートが何を考え選択し、歩みを進めているのかについて迫っていきます。第4弾として、今回は元プロバスケットボール選手で、現在、スポーツウェアブランド「トレス」に勤務しながら、カメラマン、3×3の選手など、多業種で活躍する及川啓史さんと、一緒に働く吉田彩菜さんにお話を伺いました。多岐にわたって活躍し、今を楽しんでいる元プロバスケットボール選手は、いつ何をどう決断し今に至っているのか、そして「アスリートならではの力」を紐解きます。

インタビュイー:及川啓史さん
宮城県仙台市出身。東日本大震災で地元仙台にて被災。2012年からプロバスケットボールリーグJBL2のTGI D-RISEに1年間所属。現在は株式会社トレスに勤務しながら3×3のプロ選手、カメラマンとして活動。

<提供:本人より>

インタビュアー:小原翼
神奈川県出身。2017年~2021年までプロバスケットボール選手として活動し、2021年6月にBリーグ横浜ビー・コルセアーズにて引退。現在、日本財団HEROsでインターン中。

(以下敬称略)

東日本大震災を経験しながらも前を向き続けた力

ーープロになるまでの道のりを教えてください。

及川:子どもの頃からスポーツが好きで、野球やサッカーをやってきました。中学校では一応バスケ部に所属したんですけど、サッカーのクラブチームにも入っていて、その選抜で忙しかったので、利き手ではない左のレイアップすら打てないくらいの実力でした。野球もサッカーもある程度できるようになった中で、バスケットボールが全くできなくて。それが逆にすごい楽しかったんですよ。今日はこれができなかった、明日はこれを覚えたい、みたいな。電柱の住所が書いてある金具に「カチッ」と当たったら得点、みたいなルールを勝手に作って家の前の道路でもバスケするようになりました。高校からは本気でバスケに専念しようと思い、サッカーはすっぱり辞めました。

高校3年生の時、外国人の先生と一緒にバスケをする機会があって、その先生に面食らわせてやろうとダンクをトライしたら、笑顔でブロックされて、背中から落ちて。その時、天井を見ながら、「アメリカに行こう」と決意したんです。こんな人がどれだけいるんだろうと思って。でも、留学の知識がなにもなかったので、とりあえず自分をアピールするために自分のPVを作り100校以上に送りました。2校から「そういうのやってないです」と返信があっただけで、他は連絡が返ってこない状況でした。縁あって何とか語学留学に行くことができ、結局大学入学後は練習生みたいな形でバスケを続けることになりました。

大学の冬休みで日本に帰ってきた時に、地元仙台が東日本大震災で被災しました。実家が港町だったので、家も津波にのまれて、家族は無事だったんですけど、周りは行方不明者も出るような状態でした。
しばらくして、世界各国からボランティアの方々が来てくれたり、小さな子供が1000円札を募金箱に入れてくれたりしている映像をTVで観て、「僕もなにかしなくては」と思いました。自分に何ができるか考えた時に、バスケしかなかったんですよね。バスケの全国大会に出場経験があるわけでもなく、高校から本格的にバスケットボール始めた僕が今からプロのバスケットボール選手になれたら、被災した人たちが「今から目標を見つけても間に合うんじゃないか」と少しでも希望を持ち前向きになれるのではないかと。それが自分なりの復興支援でした。その時、初めて親に「プロバスケットボール選手になりたい」と言いました。親はびっくりしていましたけど。

プロバスケットボール選手になりたいと口にしてから、今までなかったコネクションもでき始めて、岩手ビックブルズの練習生になれました。プロになり情報発信することが一つ復興の道で、自分にしかできないことだという思いが強くなり頑張った結果、翌年2012-2013シーズンにD‐RISEに受かることができました。

ーーアメリカに行くと決めて、自身のPVを100校近く送るなんてすごいですね。この行動力や考え方は昔からですか?

及川:知識欲が強くて、知りたいという欲求が相当高いんですよ。知らないことにトライすることは昔から好きでした。「難しい」と「簡単」、2つの選択肢があったら間違いなく難しい方を選択してきました。失敗したとしても得られるものはあるので。 

例えば、小学校の頃の授業で”脳は日頃の習慣を記憶する”というのを聞いて、小学校の時に校門から家まで目をつむって帰ってみたことがありました。6年間毎日通ってるんだから脳は覚えているに違いないと信じて。実際にやると、途中まではできたんですけど、そのまま歩いていたら側溝に落ちて鼻の下をぶつけて4針縫ったっていう(笑)
そういうのにトライするくらい、知りたい、やってみたいという意欲が強いタイプの人間です。

ーー引退を決意された背景、それがどのように今につながっているのでしょうか?

及川:自分は結局D‐RISEを1年で離れました。その当時、田臥さんのような偉大な選手がいた中で、「僕がやってたのってバスケじゃないんだろうな」と思うくらい次元の違いを感じました。プロのトップを目指す人たちの中に放り込まれた時に、かなりの温度差を感じました。みんなはハードな練習をした後、さらに自主練してるのに、僕はついていくのがやっとで、ここから追い込めるコンディションじゃないぞと思っていて。自身の怪我等も含めて、そういう選手たちの中にいること自体がそもそも失礼なのかなと苦痛に感じ始めていました。

プロ選手を継続することと、切り替えて社会人になることを比べた時に、まずは自分にとってバスケットボールとは何なのか、しっかり向き合いたかったんです。毎日当たり前に練習するのではなく、しっかりと自分自身がバスケットをしたいという気持ちを持てる状態について考えたいという思いがありました。また、社会人としてバスケに関わり、いろんな人たちを巻き込めば、より多くの人たちに思いを伝えられるのではないか、勇気を与えられるのではないかと思い、その年で引退を決意しました。結局は3X3の選手として復帰したんですが、それはあのときにバスケットボールにちゃんと向き合うことができたからだと思っています。

最終的に今の会社で、地元のプロバスケチームの仙台89ersにユニフォームをサプライできています。そこの選手たちは僕よりも強い拡散力とメッセージ性を持って復興支援とかやってくれてるわけじゃないですか。11年かかったけど、復興支援にいろんな人を巻き込みたいという想いがやっと形になったって感じです。

及川さんの上司としての魅力 

ーー今度は、及川さんと一緒に働いている吉田さんに伺います。及川さんと働いてみていかがですか?

吉田:私は入社4年目なんですけど、入社した時から及川さんに面倒見てもらっていて、自分の中で目標が及川さんというか、及川さんくらいまで到達したいなと思う気持ちで仕事をしています。

ーー吉田さんから見て、及川さんの上司としての魅力はどこにありますか?

吉田:スペックが高くて何でもできるとこもそうなんですけど、メンバーのやる気を引き出すのがすごく得意な方なんです。私も今、事業部をまとめる立場にあるので、参考にしたいと思っています。

ーー及川さんがプロになれた要因はどこにあると思いますか?

吉田:こだわりが強いことが一つの要因だと思います。商品一つ作るのにも、絶対妥協しないんです。どれだけ原価が上がったとしても、自分が本当に着たいものを作っていますし、お客様目線でとことん追求されていています。そのこだわりの強さがプロになれた要因ではないかと思います。

スポーツには人を元気にさせる力が絶対存在している 

―ースポーツの価値は?

及川:岩手に在籍した年、東日本大震災の1年後の同じ日に試合をすることになりました。最下位の岩手と1位の大阪の対戦でした。岩手が創設1年目だったこともあり、ファンの人たちもどう応援したら良いかわからない状況だったのですが、3月11日の試合だけは会場が揺れるくらいの声援で、フリースロー成功率の高い相手の選手が会場に圧倒されて2本連続外して。結局、その外れた2点差で勝つことができました。選手もファンもスタッフも全員号泣して喜びました。あれを体験した時、スポーツの力を強く感じましたね
正直、綺麗ごとで「スポーツでみんなを元気に」と言っているけど、「いやいやいや」と、「家族を亡くした人が元気になれるわけないじゃん」と思っていました。でも、会場にお父さんを亡くし喋れなくなってしまった子が応援に来てくれて、そこで大声で応援してくれるのを見て、そんなミラクルなストーリーが会場内に沢山あるんだと実感して。それからは、スポーツには人を元気にさせる力が絶対存在していると思うようになりましたし、そんなスポーツとずっと関わり続けたいなと思っています。

アスリートの価値観が変わらないと始まらない

ーー日本ではスポーツの価値への理解はまだまだ低いです。その状況を変えるためにはどうしたら良いとお考えですか?

及川:世の中の意識を変えていくには、まず、アスリートの価値観が変わらないと始まらないですね。引退したら何も残らないという危機感を持って、アスリート以外の付加価値をつけていく作業をもっとする必要があると思います。スポーツに関心のない人はたくさんいるので、そんな人たちにも知ってもらわないと。例えば、NBA選手が稼いだお金で学校作る、とかやるじゃないですか。スポーツ以外の部分で自分の価値を生み出すというか。そういうことは例えとして一つ、必要とされていると思います。そうやって、スポーツや応援されるアスリートが人々の生活の一部に入っていくことで、スポーツに関心のない人にもリーチすることができる。その結果、スポーツのマーケットが広がり、日本にスポーツの文化が根付けば良いなと思います。現状だと自分が生きるので精一杯な環境に身を置いているアスリートが多くて。アスリート自身がそういった部分を考えられるようにならないと、この先の限界は見えてしまっていると思います。

ーー社会のためにアクションを起こしたいと思っている選手はいますが、ベンチだったり、出場機会が少なかったりすると、「こんな私がやって良いのか」と思ってしまいがちです。この点についてどうお考えでしょうか?

及川:僕は1円でもお金をもらったらプロって言いますからね。練習生の時に子どもにサイン求められて断ったら、外国人選手にめちゃくちゃ怒られたことがあります。「チームと一緒にやってんだから、この子から見たらプロなんだから、プロらしく振舞えよ」と言われて。それに感銘を受け、そこからすぐにプロですって言うようになりました。

たしかに、自信ない人たちは遠慮しちゃうと思います。「あいつサインとかしてるけど全然活躍してないじゃん」と思われるのを気にしてしまう。でも、目の前の子どもたちからすると、何かを感じて声を掛けてくれるわけだから、そこは裏切らないようにした方が良いと思います。「自分はプロ選手だ」と堂々と言えるくらい、自分が納得できるくらいの練習をするモチベーションにもなるし、マインドセットとしてはすごく大事な部分かなと。

応援されることがパフォーマンス向上の燃料になるという実感がないんですよ。応援される凄さを体感できてないから、自分なんてって卑屈になっているだけで、一度、成功を体験をすれば、それを求めるために頑張らないとって思うんですけどね。声援の中で活躍する、これはアスリートの醍醐味だと思います。

ーー今楽しいですか?

及川:楽しいです!
契約選手の調子を見て、落ち込んでいそうな選手に連絡することもそうだし、デザインもそうだし、自分たちのユニフォームでチームの歴史をスタートさせるようなところに関われることはすごく光栄だし、楽しい以外の何物でもないですね。

ーー及川さんにとってスポーツとは?

及川:『人との繋がり』ですかね。スポーツを通して、仕事だったり出会いだったりがある中で新しい人脈や変わった景色を見せてくれるのがスポーツと思っていましたが、ミクロで見ると結局人とのつながりなんだなと。スポーツを通していろんな人と会話して視野や繋がりを広げているんだなと改めて思いました。

あとがき

今回の取材を通して、及川さんの行動力や思考力に感銘を受けました。東日本大震災というショックな出来事で今の及川さんがあるのではないかと考えていましたが、むしろ及川さんの個性、行動力や思考力で震災を乗り越えている気がしました。

記事には出せていないお話の中でも、そういった行動力や目標を現実にするための思考力が会話の節々にみられました。

多岐にわたって活躍されている及川さんの姿は、これからの時代の多様化する働き方を示しているかのようで、同じ元プロバスケットボール選手としてかなり刺激になりました。

今現役の選手でもやれることはあるし、引退したからといって遅くもないし、現時点を見つめて、自分なりに考えて行動することが大事だと気づかされました。

行動に移すのは難しいといった意見もあると思いますが、及川さんの経験を聞くと自分がちっぽけだなと思いますし、もう一歩踏み出しても良いのではないかとも感じました。

及川さん、吉田さんお話を聞かせていただきありがとうございました。

次回の「翼がゆく~スポーツの力を探る~」は、競泳日本代表として2度のオリンピックを経験し、現在は星野リゾートに勤務、2022年1月にオープンする「OMO3東京赤坂by星野リゾート」では総支配人も勤める、元アスリートが登場します。お楽しみに!!