(取材日:2021年10月11日)

「翼がゆく~スポーツの力を探る~」は元プロバスケットボール選手の小原翼が、様々な分野に転身を果たした元アスリートに、インタビューする企画です。インタビューを通して、アスリートが何を考え選択し、歩みを進めているのかについて迫っていきます。

第1弾として、今回は2012年ロンドンオリンピックに出場した元アスリートで現在電通九州に勤務している石橋千彰さんと前田佳代乃さん、そして、お二人の上司である田代周二さんにお話を伺いました。オリンピック出場と数々の成績を残したアスリートがいつ何をどう決断し今に至っているのか、そして「アスリートならではの力」を紐解きます。
石橋さん、前田さんインタビュー記事前編です!

インタビューイー:石橋千彰さん
福岡県出身。2012年競泳日本選手権男子200m自由形決勝で五輪派遣標準記録を突破し、2012年ロンドンオリンピック競泳男子4×200mリレーに出場。現在は電通九州に勤務。福岡で開催される世界水泳に向けて運営側として尽力している。

石橋さんピース
石橋千彰さん<提供:本人より>

インタビューイー:前田佳代乃さん
兵庫県出身。2012年ロンドンオリンピック自転車競技トラック女子スプリント日本代表。全日本で同種目10連覇も果たし、その優勝インタビューで引退を発表。現在は電通九州に勤務。石橋さんと同じく、福岡で開催される世界水泳に向けて運営側として尽力している。その傍ら、自転車競技の公認審判や、公益財団法人日本自転車競技連盟理事として今も自転車競技に携わっている。

前田さん競技
前田佳代乃さん <提供:https://morecadence.jp/より>

インタビュアー:小原翼
神奈川県出身。2017年~2021年までプロバスケットボール選手として活動し、2021年6月にBリーグ横浜ビー・コルセアーズにて引退。現在、日本財団HEROsでインターン中。

画像5

(以下敬称略)

「違う道を示すのが一線で活躍した人がやるべきこと」

ーー石橋さんの引退までの道のりを教えてください。

石橋:高校生の時に、「ロンドンオリンピック出場、リオオリンピックでメダル獲得」という目標を掲げました。ロンドンには出場できたのですが、2014年に大学を卒業しミズノで競技に取り組む中、2016年4月のリオ選考会で結果が振るわず。自分の中でリオでメダル獲得が目標と決めていたし、社会人になってなかなかうまく泳げていなかった時期もあったので、退こうと思いました。

ーー引退を決めてから電通九州に就職するまでの道のりを教えてください。

石橋:ずっと水泳しかしてこなかったので、そもそも「就活とは何ぞや」から始まり、どんな会社があるかも知りませんでした。

ただ、4月にリオ選考会が終わったので、エントリーシートの締め切りが迫っていました。大学の先輩が気にかけてくださり、「地元福岡に帰りたいんです」と伝えたら、電通九州の方を紹介してくださって、そこで広告代理店というものを知りました。世界水泳が福岡であることが決まっていて、福岡の良さをみんなに知ってもらいたいという思いがあったので、電通九州を受けようと思いました。

大学の先輩のきっかけがなかったら、僕もセカンドキャリアに悩んでいたかもしれないです。当時は何をしようかと漠然としていたんです。水泳のコーチはみんなやってるし、地元には帰りたいし、、。

ーーなぜ水泳のコーチにならなかったのですか?

石橋:水泳をトップでやっていた人はみんなコーチになるんですよ。それが、ベーシックな道で、誰もあまり踏み外さないというか。それが僕的に面白くないなと思い、違う道を示すのが一線で活躍した人がやるべきことかなと。オリンピアンで広告代理店は数多くはいなかったため、現役後にこのような道もあることを示したいと思い飛び込みました。

ーーそこに対して怖さはなかったのですか?

石橋:怖さはあまりなくて。現役時代にあまり怒られたことがなかったので、逆に社会人になったらできない自分が絶対にいるじゃないですか。「できない自分ってどんな感じだろう?」と、「怒られた時の自分はどうなるんだろう?」と自分自身に興味があったので、怖さよりも興味本位っていうのがありますね。

でも、ふたを開けてみたら社会ってきついなって思いました。想像通りなのかもしれませんが、競技のキツさと全然違うってすごく感じました。体の耐久性はあるけど、脳の耐久性ってないじゃないですか。そこは今も勉強中です。

写真⑤

「当たり前なことが全然当たり前じゃないんだよ」

ーー前田さんの引退に至るまでの経緯を教えてください。

前田:引退直前に出場したアジア大会、初めて大会の現地に行って体調を崩してしまいました。準備してきたのに全く力を出せない経験をして、「十何年もやってこんなんじゃ駄目だな」と思いました。

東京五輪に向けてナショナルチームの変革も進み、後輩も育ってきていたし、自分が選手として頑張るのはここまでで良いのかなと思い引退しました。

ーー引退を決めてから電通九州に就職するまでを教えてください。

前田:現役の時から教員免許、日本体育協会コーチ資格など選択肢を残していましたが、引退するタイミングで次の道は決めておらず、しばらく休養と自分自身の進路についてゆっくり考える時間を作りました。その中で、JOCのアスナビNEXTという事業にご縁があり、たまたまそこに電通九州の求人が届いていました。「狭い自転車競技の業界に一生閉じこもっていてもつまらないだろうな」と感じ、自転車競技業界を外から見たい、そして大会に出る側から大会を支える側になってみたいという思いから、福岡で開催される世界水泳に関わることができる電通九州への入社を決めました。

いざ大会を一生懸命準備する側になって、選手が一番楽だなと感じました。1つの大会に、どれだけの人の労力と汗水と涙が詰まっているかを現役時代に知っていれば、もっと自分の人間性も変わっていたかなと思います。選手からすれば当たり前なことが全然当たり前じゃないんだよということを、この仕事に就いてすごく感じます。

現役時代、大会に対していっぱいあら探ししていた自分がいたんですけど、これだけ準備してくれたことに感謝しろという気持ちを1%だけでも良いから持てと強く思いました。

写真⑥

「自分が当事者意識を持ってやる」

ーー今の目標は何ですか?

石橋:もともと世界水泳をやりたいと思ったのは、海外の人が日本と言うと東京と大阪しか知らないことに不満を感じていたことがきっかけでした。地元愛が強いのですが、福岡のおいしいごはんと人の良さのを伝えたいという目標で今やっています。

今ではそう答えることができるのですが、入社当初は目標設定に苦労しました。現役時代は、オリンピックが4年に1度と決まっていて、時間的な目標も立てやすいじゃないですか。でも、いざ企業に勤めてみると、やらされてる感の中で仕事してしまうので、まず自分が何をすべきなのか、自分が何をしたいのかがわからない。自分が当事者意識を持ってやることで、5年目に突入した今はそこが明確になってきました。

「現役時代よりも何度も壁にぶつかっている」

ーー社会に出て厳しいなと感じることはありますか?

前田:もちろん、広告代理店というのがどういうものか聞いたうえで、JOCも絡んで送り込まれたこともあるので、身構えていたつもりだったんですけど、肉体的な負荷というよりメンタル的な負荷に厳しさを感じていますね。
社会人として、このチームの一員として、もっと貢献したいと思っているんですが、なかなか思い通りにはできなくて。選手だったら自分のことを第一優先にしていれば問題ないんですけど、企業では色んな方向に対して配慮が必要でバランスをとることが難しいなと。現役時代よりも何度も壁にぶつかっている気がします。

自分自身コミュニケーションスキルはそこそこあるつもりで入ってきたんですけど、全然でした。

ーー今楽しめていますか??

石橋僕は楽しめていますね!
競技の時も、キツいの8割、楽しいの2割だったりするじゃないですか。企画が通った時に良かったなと思いますし、その前には大変なことがあるというのも、競技で経験しているので、それを踏まえると、やりたいこともさせてもらっているし、すごくわがままも言っているし、自由にさせてもらっているなと思いますね。

前田まさに、私ハッピー期間なんですよ!
つい最近提案が通って、勝ったばっかりで。この企画の提案に向けて長期間準備して、それでも準備が思うように進まず、何とかギリギリ間に合って、提案して。提案にこぎつけるまで、多くの先輩に助けられました。任された仕事がようやく数字になりそうなところまできたので、ハッピーなんですけど、これから大会に向けてまた沢山の壁にぶつかるんだろうなと思っています。

あとがき

今回、お二人とも「王道の道」ではない「違う道」の選択をしています。この一歩を踏み出すにはなかなかの勇気と覚悟が必要だと思います。インタビュー中、社会の厳しさの話もありましたが、終始、笑顔で活気あるインタビューとなりました。私にはお二人が、厳しい壁にぶつかりながらも、それを楽しみながら前を向いて進んでいるように見えました。

次回の「翼がゆく~スポーツの力を探る~」も引き続き、石橋さん、前田さんの記事になります。今回、登場しなかった田代さんから見たお二人の様子や、今活きているスポーツ経験から身につけた力について探っていきます。ぜひお楽しみに!