(取材日:2022年1月21日)

 「翼がゆく~スポーツの力を探る~」は、元プロバスケットボール選手の小原翼が、様々な分野に転身を果たした元アスリートに、インタビューする企画です。インタビューを通して、アスリートが何を考え選択し、歩みを進めているのかについて迫っていきます。第6弾として、今回は、元プロボクサーで、現在、湘南でサーフィンインストラクターとして働いている、内山順哉さんと、一緒に働いている奥寺郁弥さんにお話を伺いました。競技を超えて活躍している内山さんが、いつ何をどう決断し今に至っているのか、そして「アスリートならではの力」を紐解きます。

インタビュイー:内山順哉さん
兵庫県出身。高校までは野球に打ち込み、甲子園出場も果たす。大学からはボクシングに転向し、プロボクサーに。現在は湘南にある、ウインドサーフィン・サーフィンスクールのインストラクターとして勤務。

インタビュアー:小原翼
神奈川県出身。2017年~2021年までプロバスケットボール選手として活動し、2021年6月にBリーグ横浜ビー・コルセアーズにて引退。現在、日本財団HEROsでインターン中。

(以下敬称略)

何となく「やろう」としていたところから、「やろう」と変わった瞬間

ーープロボクサーになった経緯を教えてください。

内山:ボクシングを始めたのは、もともとボクシング観戦が好きだったというのと、高校まで野球をしていたので、団体競技ではなく個人競技で熱中できるものがないか考えたからです。

今は、アマチュアからプロになるのが当たり前ですが、僕の時代は畑山さん(畑山隆則さん)のようにアマチュアの経験がないボクサーが世界一になることが主流で、僕もプロのジムに入門することになりました。

ジムに入り、いきなり自分より体格の小さい選手とのスパーリングをして、何もできずにやられてしまって。「やり返さなきゃ」と思い、本腰入れてボクシングをやろうと決心しました。はじめは何となくやろうとしていたけど、この経験で目標ができたのかなと思います。多分、会長はこうして選手を振るいにかけていたんでしょうね。

その後、「プロテスト受けてみるか?」と言われ、受けて合格し、試合をするようになりました。プロとして戦ったのは6戦で、戦績は5勝1敗でした。デビュー戦の時に、1ラウンド12・3秒で倒して、その時のギネスになるんじゃないかってちょっとだけ騒がれたことがあります。

ーー引退の理由は何ですか?

内山:6戦目が終わったのが大学4年生の時で、大学卒業後もプロでご飯を食べていこうという思いはあったのですが、その頃には右目の視力が落ちていたんですよね。

それがやめる引き金になったんですが、世界チャンピオンで片目が見えなくなっても続けている人はいっぱいいるんで、言い訳だと思っています。でも、僕はそこまで腹を括れず、プロの道から離れました。

競技に打ち込み視野が狭いと思った

ーー引退した後はどうしていたのですか?

内山:引退した後に、今までは野球にしろボクシングにしろ一つの場所で一つのことに打ち込む生活をしていて、視野が狭いなって思いましたもっといろんな世界を見た方が良いなと思い、かっこいい響きだけど「旅に出よう」と思いました。海外というよりは日本国内から始めようと思い、北か南かどちらにするか考えた結果、南に行こうとなりました。直行便の飛行機が出てる石垣島か宮古島のどちらにするかと考えた時に、「そういえばオリックスバッファローズがキャンプで宮古島に行ってるな」と思ったので、とりあえず宮古島に行くことにしました。

実際に行ってみて、「こんなにきれいな海があるんだ」と感動し、ここに住もうと決めました。仕事と家があればあとは何とでもなると思って、ダイビングショップに「居候させてください」とお願いして居候することになりました。働きながら住まいを確保して、この時は、このままダイビングのインストラクターになるのかなと漠然と思っていました。

 しかし、その後、台風で宮古島が被災し、住み続けるのが難しくなったので、湘南へ戻ってきました。

戻ってきてからは、良くしてくれた先輩から、ジムで働くお誘いをいただき、湘南のゴールドジムでボクシングを教えることになりました。
その後、ちゃんと社会を見ようと思い、静岡でコンビニのメンテナンス会社に営業として就職し、4年ほど勤めました。

ーー営業職をやってみてどうでしたか?

内山:あまり自分とはマッチしませんでした。でも、世の中を見る勉強になりました。この経験が無いとダメでしたね。世の中の人がこうやって働いているんだなと。自分の好きなもので働くのと、生きるために働くことの違いを、この営業職に就いている時に理解することができました。

偶然目に留まった求人広告

ーー今のこのサーフィン・ウインドサーフィンインストラクターのお仕事とはどうやって出会いましたか?

内山:静岡から江ノ島に戻ってきた時に、かつてのジムのお客さんから、「またジムで働いてよ」と言われ、個人のお客様相手に働いていました。当時、そこでジムの仕事を拡大するか、ジムで働きつつまた別の働き口を見つけ二本柱で働くか悩んでいました。

その時に、このショップの求人募集の張り紙を目にしました。

キッカケは、ショップの前で偶然ゴールドジムの先輩に話しかけられ、立ち話をしたことでした。その時に目についたのがこの求人募集でした。恐らく、その先輩に止められなかったらこの求人募集に気づいていなかっただろうと思います。

でも、この求人を見てすぐに「ここだ!」ってひらめいたわけではなく、とりあえずサーフィンもやってるし、どんなもんかなと思って入ってみることにしました。

ーーなぜまたスポーツ関連の職に戻ってきたんですか?

内山:やっぱり体を動かすのが好きだったんですね。自分の体を使って表現する方が好きだからだと思います。

ここのお客さんを見ていると、自分のマインドを元に戻すとか、生活の一部になるとかが海の魅力なのかなと思います。精神的に落ち着くとか、またスポーツとは違う力が海にはあるのかなと思いますが。

スポーツは、自分を整えることができるのかなと思います。それがあるから生きていけるのかなとも思います。

ーーこのショップで働いている方は内山さんみたいにいろんな経験をしている方が多いのですか? それともサーフィンをずっとやってきた人が多いのですか?

内山:人によって全然違いますね。新卒で入ってきた人もいれば、ふみ(奥寺さん)なんかは建築系の仕事から転職してきたし。

このショップのオーナーは、サーフィンやウインドサーフィンの経験者に働いてもらうという考えではなく、「経験者じゃなくても自分次第で」という考え方なんですよね。

奥寺:ここには色んな業種のお客さんがいらっしゃるので、社会人経験が無いと話も合わせられないし、良い仕事ができないのもあるかなと思います。その点、内山さんはいろんな経験もされているので、お客様と多様な交流ができるのかなと思います。

The ストイック

ーー奥寺さんにお話を伺いたいのですが、一緒に働いていて感じる内山さんの魅力は何ですか?

奥寺:ストイック。仕事に対しての姿勢や体調管理、掃除一つにしろ、出勤にしろ、いい加減にすることがないところですかね。普通だったら放っておくミスでも、放っておかずに、「誰にもミスがあるけど、次は注意していこう」と最後まで気を抜かないところにストイックさを感じています。内山さんはよく「一つのゆるみが全体のゆるみに出るから」と話しています。

あとは、規則やルールに厳しいところですかね。スクールの時間に遅れてくるお客さんに対しても、「他に時間を守っている方々がいるので、あなただけ許すことはできないんですよ」と注意するし。やっぱり、真剣にやっている方にはしっかり上手くなってもらいたい、という思いで接しているのが伝わります。

ーー「元プロボクサー」がお仕事中に垣間見えるところは ありますか?

奥寺:やっぱりストイックなところで、自分に対してはもちろんですが、接する相手に対してもストイックです。

ーー他の社員の人との違いは?

奥寺:そこもストイックさになるのかと思います。「どうせやるなら生半可なことするのはもったいない」というような価値観が内山さんにはあると思います。

自分の気持ちで全て変わることを学んだ

ーー内山さん自身、ボクシングの経験が今のお仕事で役に立っていることはありますか?

内山:やっぱり、自分を作ってきたものとしての位置づけにボクシングがあって、自分の気持ちで全て変わるということを一番学んだのかなと思います。

その中で、ボクシングというよりは、海との比較で思うことがあります。ボクシングは目の前の人を相手にする競技なので、相手の感情が伝わります。でも海は、でかい波が来て、「やばい、助けて」と思っても感情が伝わらないので、波に吞まれることもあります。ボクシングとの違いから自然の脅威を感じる部分はありますね。でも、サーフィンとかウインドサーフィンをしている時は1人。その部分はボクシングと似ているなと感じます。

ーー今のお仕事は楽しいですか?

内山:楽しいです!

好きなことやって、会社員やって、違う世界を観て、やっぱりまた好きなことをやる道を選んでるってことは、なるべくしてなったのかなと思います。

自分で自分の可能性を狭めている

ーーセカンドキャリアに悩んでいる人に、こういう風に考えた方が良いよというアドバイス。

内山:辞めた後って、そのスポーツだけじゃなくて、もっとやれることがあることに気づけるのか気づけないのかが大事だなと思います。僕は宮古島に行った時にそれをすごく感じました。当時の僕はボクシングしかなかったなと。それって、自分で自分の可能性を狭めていたのかなって思います。みんな、もっと他にもやれることがあるんだよって思います。

ーーご自身が、次の道に進もうとするときにはいろんな人に相談されたのですか?

内山:しましたね。やっぱり、先に辞めた人の話を聞きに行きましたね。でも、決めるのは自分なので、話を聞いたうえで、ブレずに自分で判断しました。競技にしがみついて続けている人もいるでしょ。その判断も美しく見えるし、一つの方法です。結局は自分が決めることなので。

話しながら今思い出しましたが、ボクシングを辞める時、「『やり切った』って満足して辞めていくやつはいない。」と言われたことがありました。必ず、どんなプレーヤーでも負けて辞めるとか、もっとあの時にこうしとけば良かったと後悔して辞めると思うと。この言葉に納得感があったのを覚えていて、結局はどこで割り切って決断するかみたいなことかと思っています。

ーー内山さんにとってスポーツとは?

内山:『生きる上での道しるべ』かなと思います。自分の心を整えてくれたりとか、それがあるから仕事ができるとか。あと出会いも多いので。色々複合してこの意味ですかね。

あとがき

以前からお世話になっており、気持ちのリセットのために何度も訪れたこのショップ。

内山さんに引退報告をした際に、初めて内山さんが元プロボクサーだった過去を聞きました。そんな過去は一度も聞いたことがなかったので、初めて聞いたときは驚きました。

いつも明るく迎え入れてくれて、私の引退報告時も「良かったね!」と引退を祝ってくれたことを覚えています。

今回、その「良かったね!」の真意を伺うと、

『「続けられなくなって残念だったね」というより、自分で辞める決断をしたってことは、他の世界へ行けるということなので、「良かったね。もっと違った世界が観れるね!」っていう想いで言いました。 

やっぱり辞める時って、苦しいと思うんですよ。でもそれを考えても仕方がないので、じゃあ次に、という感じですね。』

と答えてくれました。

改めて真意を聞いたのは初めてでしたが、引退報告をした当時の私にもしっかりその真意が伝わっていたと思います。実際に引退して、まだまだ広いとは言えないが、以前よりも圧倒的に広くなった私の視野。内山さんの取材を通して思い当たる節がいくつもあるなと思いながら話を伺っていました。

内山さん、奥寺さん、改めて取材を受けていただきありがとうございました。これからもよろしくお願いします。