著者:瀬川泰祐

パラアイスホッケーという競技があることをご存知だろうか?
この競技は、スレッジと呼ばれる専用のソリに乗り、両手にスティックを持って氷上で激しくぶつかり合うことから、
アイスホッケーと同様に“氷上の格闘技”と呼ばれている。
そんな激しい競技の世界で12年間活躍した人物がいる。上原大祐さん(38)だ。

上原さんは、3度の冬季パラリンピックに出場したのちに現役を引退し、
現在は、一人ひとりが助け合える共生社会の実現へ向けた活動や、若者に夢を持ち挑戦することの大切さを伝える活動、
世の中にある課題を解決するための商品開発などを行っている。
今回は彼のアスリートとしてのキャリアを追いながら、現在の活動への思いに迫ってみたい。

パラアイスホッケー界に金字塔を打ち立てた伝説のゴール

先天的に脊椎骨が形成不全となって起きる神経管閉鎖障害の一つ、二分脊椎症により、
生まれつき歩くことができなかった上原さんは、幼い頃からそのハンデをものともせず、活発な幼少期を過ごした。
「友人たちと毎日泥だらけになりながら遊び回っていた」と振り返るように、幼い頃からアクティブだった上原さんは、
大学在学中の19歳の時に、パラアイスホッケー日本代表の関係者に勧められてスレッジに乗ったことがきっかけで、この競技を始めることとなった。

大柄な選手が有利とされるパラアイスホッケーの世界で、145cm・45kgと小柄だった上原さんは、
体格のハンデを頭脳でカバーし、すぐに頭角を現した。競技開始から2年後に日本代表入りを果たすと、
さらなる高みを目指しアメリカの強豪チーム、シカゴ・ブラックホークスに武者修行へ行くなど、
実力を磨いて2006年トリノパラリンピックに挑んだ。
予選リーグ初戦のスウェーデン戦では、上原さんの3得点などにより勝利を収めたものの、
その後は1分1敗で日本代表チームは予選リーグで敗退。「絶対にメダルを獲る」という気持ちで臨んだ大会は、
結果的に5位と惜しくもメダルには手が届かなかった。
上原さんは、その無念さと、開会式の時に味わった大歓声で会場が揺れる感覚を忘れることができず、
再び4年後のバンクーバーに照準を合わせて歩き出した。

そして迎えたバンクーバーパラリンピック。
日本は2勝1敗で予選リーグを突破すると、準決勝でメダルを懸けて地元・カナダと激突。
ホームの大歓声を背に勢いに乗るカナダに先取点を許したものの、日本代表チームは一歩も引かず、
同点で最終ピリオドに突入する。そして試合終了まで2分を切ったとき、
コンビネーションで混戦から抜け出した上原さんがシュート。
これがカナダゴールに突き刺さり、念願のメダルを手中に収めた。
この上原さんの値千金のゴールは、日本を史上初のメダルへと導いたプレーとして今も語り継がれている。

引退後の活動でつかんだ課題解決の秘訣

2013年に一度現役を退いた上原さんは、翌年「スポーツを通じて、障がい者と健常者が共生する社会を創り上げ、
夢を持ってチャレンジする精神を育むこと」を目的に、NPO法人「D-SHiPS32(ディーシップスミニ)」を立ち上げた。
このD-SHiPS32ではパラスポーツ体験会や、バリアフリー農業体験などのアクティビティを通じて、
世の中をもっと楽しくするきっかけを提供したり、障がいのある子どもが何事にも挑戦できる環境を提供したりしている。

さらに、上原さんの活動はこれだけには留まらない。
大手電機メーカーではオリンピック・パラリンピック推進本部に籍を置き、
パラスポーツ推進活動や、インクルーシブデザインの視点を活用した商品開発を行っている。
また代表を務める一般社団法人障害攻略課では多くの人と共に社会にある困難を解決していくプロジェクトを行うなど、その活動は多岐に渡る。

「自分自身が感じた課題は、次世代に残さないようにしたい」と語る上原さんが、これまで解決した課題の一つに、
障がいや病気を抱える車椅子ユーザが持つ、着る服に関する悩みがある。
オシャレがしにくい車いすユーザーが、気軽にサイズを調整することが可能なジップアップのスカートを開発すると、
そのデザイン性と機能性が高く評価され、結果的に障がいの有無を問わず、多くの人が購入する人気商品となった。
このスカートの開発に大きく関与した上原さんが「一人のために動くと課題がフォーカスできるので、
課題の抽出がしやすい。その課題を解決するために必死に動くと、イノベーションが生まれやすくなる」
と話すように、障がいのある人が抱える課題に対して徹底的に向き合ったからこそ成功した事例だと言えるのではないだろうか。

上原さんの新たな一手は、障がい者の就労環境を変えるチャレンジ

現在は、新型コロナウイルスの流行によりワークショップなど人が集まるイベントの開催は難しい状況だ。
しかし、そのような中でも、上原さんは福祉現場にマスクを届けるプロジェクトや、
病気により嚥下調整食が必要な子どもとその家族を支援する活動などを行っている。
中でも障がいのある方が作った商品を販売するオンラインストア「再入荷未定ショップ」というプロジェクトは、
障がい者の就労環境を変えていくことを目的とした取り組みとして今後に期待したいプロジェクトだ。

今年の2月に厚生労働省が発表した数字によれば、雇用障害者数は56万608.5人と過去最高を記録しているように、
障がい者の就労環境は過去に比べれば良くなっていると言えるかもしれない。
しかしその一方で、民間企業における障がい者の法定雇用率(全社員のうち2.2%)を達成している企業は全体の48%にとどまるなど、
まだまだ改善しなければならない点は多い。また、障がい者の視点で言えば、
任される仕事は単純なものが多く、自信や目標を持って仕事をすることは難しい環境にある。

そのような環境を変えるべく、再入荷未定ショップでは、福祉施設から生まれる唯一無二の商品を取り扱い、
「不安定供給」という特性を、彼らの作品の価値に変えることを目指している。
こうした環境を作ることで、就労支援施設で働く人や福祉現場の人が「再入荷未定ショップに商品を出品する」という目標を持ち、
より積極的に創作活動に取り組んでもらえるようにすることが上原さんたちの狙いだ。
さらにこのプロジェクトに上原さんは、
「車いすのためアルバイトができなかったという悔しさを次世代に感じさせないために、ここを活用してほしい」
という思いをも込めている。アルバイトができない生徒たちが働く場所として活用できる仕組み作りも視野に入れているのだ。

HEROs LABでワークショップを開催! 若者たちに与えた経験値と経験知

HEROs LABに登壇した上原大祐さん


このように様々な活動を通して社会が抱える問題を解決すべく動いている上原さんは、
その経験を若者たちに伝えようと、9月29日にHEROs LABに登場した。
「一人のわがままを叶えるとみんなの価値になる!」をテーマにアスリート時代の経験や、現在の活動などについて話した後、
「大ちゃん先生の誰もが発明家になれるワークショップ」と題したワークショップを行った。
参加者たちは紙・糊・ハサミ・ホチキスを用いて視覚障害や四肢障害を持つ人と同じ体験をしながら、
上原さんから与えられた課題に取り組んだ。このワークショップの中で上原さんは、
「経験値は経験知から生まれる。だから様々な場所に行ったり、新しいことにチャレンジし、
見る・聴く・嗅ぐ・触るという経験をして知を得て、沢山の値にしてほしい」と参加者にアドバイスを送った。

このように、現役生活で養ったスポーツの力を活用し様々なアクションを行っている上原さん。
HEROsでは、彼のようにスポーツの力を信じ、社会のために行動を起こすアスリートが多く出現することを願っている。
そこで、今回HEROsプロジェクトから読者の皆さんに、社会課題解決に向けて以下のようなアクションを行うことを提案させてもらえないだろうか。

  1. この記事をSNSで拡散する
  2. どんな社会課題があるかを調べてみる
  3. 課題解決のためのアイデアを考えてみる
  4. 自分の考えたアイデアを発信してみる
  5. 社会課題解決のための募金活動やクラウドファンディングに協力する
  6. 再入荷未定ショップなどを通して障がい者が作る商品を購入してみる

もしも、この中にできることがなければ、他のことでも構わない。
いまの自分に出来ることから、ぜひ行動に移してみてはいかがだろうか。
一人ひとりの小さな行動の積み重ねが、いつしか日本社会の経験知となり、日本社会の経験値に変わる。
そんな積み重ねが、小さくても確かに社会を動かすはずだ。