問われるライフセーバーたちの存在意義
「今年は、例年以上にライフセーバーの存在意義が問われることになります」。
こう語るのは、ライフセーバーの飯沼誠司さんだ。ライフセーバーとは、水辺の事故防止や人命救助、ビーチクリーン活動などを行うスペシャリストのことで、飯沼さんはその世界の草分け的な存在。長年にわたり海辺で人々の命を見守り続けてきた。
だが、今年の夏は、新型コロナウイルス感染症の大流行により、飯沼さんをはじめとするライフセーバーたちは、例年と同じような活動を行うことはできなくなりそうだ。というのも、全国各地の海水浴場開設中止と、充分とは言えない安全対策の狭間で、ライフセーバーたちの果たすべき役割に大きな変化が生じているからだ。
また、同時にわたしたち海岸利用客の海に対する意識も変化が必要となる。今夏は海水浴場は開設されない地域が数多くあるが、海岸利用自体は禁止されないため、海を訪れる人は数多くいるだろう。もしも安全対策が行われていない海で多くの人が泳げば、これまでライフセーバーたちが未然に防いできた事故が、顕在化してしまう可能性があるということを、私たちは深く理解しておかなければならないのである。
ライフセーバーたちが防いできた海の事故はどのくらい?
日本ライフセービング協会が発表しているパトロール統計報告によれば、2018年にライフセーバーたちが活動していた約200の海水浴場で、レスキュー行為を行なった件数は2362件あった。これらのレスキュー行為は大きく自然要因と人的要因に分けることができる。自然要因においては、離岸流や風によるレスキューが全体の7割以上を占める。また、人的な要因においては、泳力不足が全体の6割を占め、さらに疲労やパニック、飲酒と続く。
また注目すべきは、レスキュー時の行為の内訳で、浮具無しの遊泳が全体の37パーセントを占める一方で、浮具有りでの遊泳が53パーセントと、浮具無しでの遊泳を大きく上回っている。動物型の浮具が風に流されて水難事故に発展するケースが毎年報じられているが、いくら浮具があるからといって、安心してはいけないということが理解できる統計結果と言えるのではないだろうか。
また、ライフセーバーたちは、レスキュー行為の他にも、怪我人や体調不良者へのファーストエイド(応急手当)、さらに迷子への対応なども行なっており、その件数はそれぞれ14673件、794件もある。夏の海辺のひとときを影で支えてくれていたライフセーバーたちがいない海で泳ぐ人が増えれば、大きな水難事故が急増してもなんら不思議ではないだろう。
我が国の海水浴場管理の課題
各自治体から、海水浴場の開設中止が続々と発表され始めた2020年6月上旬、神奈川県は、県内の全域で海水浴場の開設を中止することを発表した。しかし、同じ首都圏でも他の県は統一的な見解を出すことはなく、各地方自治体がバラバラに海水浴場の開設中止を発表した。結果的に千葉県や茨城県は、地方自治体の足並みが揃い、全域で海水浴場の開設は行われないこととなったが、静岡県は、熱海市や下田市など複数の自治体で海水浴場を開設するなど、同県内でも判断が別れているような状況だ。
このように、県や地方自治体がそれぞれバラバラに発表していることに、違和感を持った人も多いのではないだろうか。そこで、日本の海水浴場は誰の責任の元で管理されているのかを調べてみたところ、海岸の保護等を定める「海岸法」にその根拠があった。
同法の第5条の第1項では、「当該海岸保全区域の存する地域を統括する都道府県知事が行うものとする」と規定されている。また続く第2項で「前項の規定にかかわらず、市町村長が管理することが適当であると認められる海岸保全区域で都道府県知事が指定したものについては、当該海岸保全区域の存する市町村の長がその管理を行うものとする」と記載がある。
つまり、夏の海水浴場は、都道府県知事の承認を受け(実際には、申請のみの場所もあるようだが)、市区町村の長がその管理を行うことになっているのだ。この点から、今回の新型コロナウィルスへの対策の意思決定プロセスとして理想的なのは、まずは都道府県が海岸利用に関する統一的なガイドラインを策定し、それに基づいて、地方自治体が海水浴場の利用を決定するという形なのではないだろうか。
しかし、今回の神奈川県のように、都道府県が開設しないという意思決定を行うならば、その際の安全対策もセットで検討されていなければならないはずだ。安全対策を考慮せずに海水浴場の開設中止を発表した神奈川県は、世間から強い避難を浴びたが、結果的には、日本ライフセービング協会と包括協定を締結し、全域で水難事故防止に向けた取り組みを行うこととなったように、県内での統一した安全対策を担保したのは評価されるべきだろう。
一方で、今回の意思決定には大きな混乱も巻き起こしてしまったように、海岸利用における意思決定のプロセス策定と、都道府県、地方自治体、民間事業者間のスムーズな連携は、今後の日本の海岸利用の大きな課題といえよう。
今夏の海水浴場の安全対策はどうなるの?
このように海水浴場を開設するかどうかで大きく混乱している日本列島だが、今年のビーチは例年とどのような違いがあるのだろうか?
飯沼さんによれば「今年は新型コロナウィルスの感染リスクがあるため、一部の場所ではライフセーバーの確保が難しく、安全対策を施すことができない自治体がある」とのこと。つまりわたしたちは全国的にライフセーバーが不在の海を利用ということを念頭におかなくてはならないのだ。
一方で、海水浴場は開設しなくとも、地元のライフセービングクラブと連携して安全対策を施す自治体もある。例えば、千葉県館山市は、飯沼さんが代表を務める「館山サーフクラブ」と連携して、ビーチのパトロールを行うことが決まっている。しかし、このようなケースもまた、昨年までとはライフセーバーの役割は異なるので、利用客側にも注意が必要だという。
「海水浴場が開設されないことにより、ライフセーバーたちの担う役割も、これまでのライフガード業務から、主にパトロール業務にシフトすることになりそうです。例えば昨年までなら、溺者を見つけたら、我々が一次救命措置(心肺停止または呼吸停止に対する、専門的な器具や薬を使う必要がない心肺蘇生)を行いながら、海上保安庁や消防と連携して二次救命措置へつなげていました。でも今年は、コロナによる感染リスクがあるため、わたしたちは第一発見者としての役割のみを担い、海上保安庁や消防へ連携を行うことになっています。もちろん目の前で対応できうることはします。しかし、海上保安庁が水難事故の現場に到着するまでには、少し時間がかかってしまうことが予想されます。そこで今年はグリッドマップと呼ばれる緯度経度を格子状に記した地図を用いて災害点を共有する方法を行うことにしています。一次救命措置の重要性を知るわたしたちライフセーバーが、積極的に海のルール作りに関与していきたい」とその語気には熱が込もる。さらに言葉を続ける。
「今年は海水浴場がないので、遊泳エリアが存在せず、つまり我々の監視エリアも決まっていない状況です。例年通りにはいかない状況ですが、海上保安庁と連携して、監視エリアやルールの策定を行いました。また、ライフセーバーたちが待機する監視所も設置されないため、傷病者の休憩や手当をする場所も、今年は車で代用することになりそうです」と工夫を凝らしながら夏へ向けて準備を進めてきたことを明かしてくれた。
海の事故を防ぐためにできること
これまでライフセーバーが未然に防いでくれていた事故を顕在化させないようにするためには、私たちは、自ら命を守るためにどのようなことに注意すべきか。飯沼さんに、今夏に海に出かける人に必要なことを聞くと、守るべき6つのことが浮かび上がってきた。
1.天気予報はこまめにチェック
「これまでは、ライフセーバーが天候の変化に応じて、遊泳可能かどうかを判断し、場内アナウンスを流してリスクを管理していましたが、今年は場内アナウンスもないところがほとんどです。いくら海が穏やかでも、急な天候の変化がありますので、責任ある大人が、天気予報をこまめにチェックし、特に注意報・警報などの情報を把握するように心がけてください」。
2. 子供から目を離さない
「広い海辺で、いなくなってしまった子供の捜すのは、困難を極めます。子供から目を話さないためにも、子供だけで遊ばせることなく、そばに必ず大人が複数人ついて一緒に遊ぶようにしてください」。
3.飲酒して海に入らない
「ライフセービング協会の統計では、遊泳中に溺れて心肺停止となった方のうち、飲酒をしていた人の割合は全体の3割に及んでいます。いつもより紫外線を多く浴びて汗をかいた状態で飲酒をすると、体内のアルコール血中濃度が上昇しやすいこともその要因かもしれません。当たり前のことですが、飲酒したら泳がないということを徹底しましょう」。
4.熱中症に注意
「海辺は湿度が高いうえに、感染対策でマスクの着用をすると思いますので、例年以上に熱中症リスクが高まります。こまめに水分を取ることはもちろんのこと、パラソルや帽子で日陰を確保するなど、熱中症対策はしっかり行なってください」。
5.自分の体力を考える
「今年は自粛が続いて運動不足になっている人も多いと思います。そのような方が急に海で泳げば、足がけいれんを起こしてしまうこともあります。もしこの夏に海に行くことを考えているようなら、事前に運動し、体力を作っておくと良いでしょう」。
6.ゴミは持ち帰るなど、海のルールは守る
「海洋プラスチックごみは、海洋汚染を引き起こし、海の生態系を壊す要因になっていると考えられています。豊かな海を守るためにも、ゴミは必ず持ち帰るようにお願いします。特に今年は、海水浴場が開設されていない海岸が多く、ゴミ箱の設置状況も例年とは異なることが予想されますし、ビーチクリーン活動も行われない地域が多いと思います。これまで以上に海を利用する人それぞれの環境への意識が問われています」。
これまで数々の水難事故を未然に防ぎ、また救うことができなかった命も見届けてきた飯沼さん。「事故を減らしたい」「大切な命を救いたい」「より安全に海を楽しんでもらいたい」という彼の強烈な願いは、皆さんの心にどう響くだろうか。いま一度、水に対する認識を改め、皆で「ニューノーマル」時代の新しい海岸利用のあり方を考え、より良い海辺の文化を育んでいきたいものだ。