HEROs アスリートになる
BACK

稲葉篤紀に聞く、プロ野球選手の影響力を生かした北海道日本ハムファイターズのスポーツ振興と地域課題解決策

2023/ 12/13

2004年の北海道移転をきっかけに、独自の地域貢献活動を続けてきたファイターズ。その理念と実績、未来へのビジョンとはどんなものか。SC活動の旗振り役として2015年から「SCO(スポーツ・コミュニティ・オフィサー)」を務め、来季から二軍監督に就任する稲葉篤紀氏に聞いた。

 11月26日、雪景色のエスコンフィールドHOKKAIDOは熱気に包まれていた。オフシーズンのグラウンドで元気な歓声を上げていたのは、千歳・江別市内の小学生68人。北海道出身の選手が中心となったファイターズの野球振興活動「ネクスト・サークル」の一環で、本拠地での野球教室に招待されていたのだ。

 スタンドから保護者や一般のファンも見守るなか、キャッチボールをしたりノックを受けたりと、のびのび天然芝を駆け回る。最後に用意されていた選手たちの実演コーナーでは、侍ジャパンの一員として今春のWBCでも活躍した伊藤大海投手の力強いストレートやスライダー、“魔球”と言われるスローカーブを間近で体感し、「うわぁーーー!」「すげえ!!」と瞳を輝かせた。

投げ方を丁寧に教える伊藤大海投手(右)と松浦慶斗投手

「僕たち4人も“道産子”。北海道で育ってプロ野球選手という夢を叶えました」

 マイクを手に話しかけたのは漁業の町・茅部郡鹿部町生まれの伊藤だ。その隣では、招待された子供達と同じ千歳市で生まれ、江別市で育った伏見寅威捕手が大きく頷く。東日本大震災で被災し父の故郷である旭川市で育った松浦慶斗投手、帯広市出身の杉浦稔大投手も口を揃えてこんなエールを送った。

「ここにいる北海道の子供達の中からいつかファイターズでプレーする選手が出てくることを僕たちも楽しみにしています!」

 この「ネクスト・サークル」は元々、人口の少ない道内の郡部など、9人に満たないような少人数のチームでプレーしている小中学生に対して野球への意欲を持ち続けられるように、という願いから発進し、“道産子選手”が中心となって野球教室や用具支援などを行ってきた。単なる野球振興にとどまらず、北海道ならではの地域課題の解決、という視点を持ち進めてきた活動だ。現在、チーム内の“道産子選手”は8人。気候面のハンデからかつては少数だった北海道出身のプロ野球選手と活動を通して交流できることは、野球が好きな子供達が夢を描く過程で大きな力になっている。

伏見寅威捕手の指導を熱心に聞く子供達

北海道をスポーツ王国にしたい

「社会貢献活動において一番大事なのは、地域の皆さん、ファンの皆さんの意見にしっかり耳を傾けながら問題に取り組むということじゃないかと思います。北海道は冬は屋外で体を動かすことができないですし、スポーツを取り巻く環境という意味では様々な課題がある。その課題に対してファイターズが先頭に立ち、みんなで手を取り合って北海道をスポーツ王国にしていきたい。僕は現役時代から、そんな思いで活動させてもらってきました」

 そう話すのは稲葉篤紀氏だ。2005年に当時移転2年目だったファイターズに移籍。以来、2014年に現役引退するまで4度のパ・リーグ制覇を牽引してきた。特に移転後初めて日本一に輝いた2006年シーズンは、新庄剛志(現監督)、森本稀哲(現外野守備走塁コーチ)と共に鉄壁の外野陣を形成。稲葉氏が打席に入ると札幌ドームが揺れる、と言われた「稲葉ジャンプ」は、北海道のファンが新球団に寄せる熱い思いを象徴するような一体感に満ちたシーンだった。

「移転当初はなかなかファンが集まらなかったという話も聞きましたが、僕がチームに入った2005年には、道内の人気も高まり北海道日本ハムファイターズという名前が少しずつ全国区になっていくという熱気がありました。翌年の日本一は、北海道の方達の心を一気に掴めたんじゃないかなと感じた大きな出来事でしたね」

 稲葉氏は現役時代から、地域貢献活動に携わってきた。北海道内のさまざまな地域で医療支援を行ったり、チャリティーオークションに用具を提供したりと積極的に活動。2009年オフには自身の発案で、子供達を中心に道民への貢献活動を行う「Aiプロジェクト」を立ち上げて、約1300の小学校にリレー用のバトンを贈ると共に児童施設訪問などで道内各地を訪れた。

来季は二軍監督に就任。地域の人との触れ合いを大切にしたいと語る

「当時のファイターズは“つなぎの野球”と言われていたので、バトンには“思いをみんなで繋いでいく”という願いも込めました。毎年活動を続けていくうちに、卒業して大きくなった子から『小学校の時に稲葉さんのバトンを使いました』と言ってもらえることもあって、それは本当に嬉しかったですね」

 ファイターズは2015年から地域貢献活動を「SC活動」として体系化。稲葉氏は引退翌年からその旗振り役である「SCO」に就任して活動を続けてきた。「SC活動」は現在、大きく分類して「野球振興」、「野球以外のスポーツも含めた心身の健康増進」、「北海道の地域課題の解決」という3つのテーマを掲げている。特徴的なのは、野球振興のみならず幅広い視点を持ち活動している点だ。

 2016年から行っている「FOOTSTEP FUND~あしあと基金~」は、ウォーキングを楽しみながら参加者の10歩を1円に換算して積み立ててパラスポーツ支援を行うチャリティーだ。また、選手会が原案づくりに携わって絵本を制作したり、目標冊数を読み終えた児童を試合に招待する「グラブを本に持ちかえて」や、ウインタースポーツの助成事業である「ゆきのね奨楽金」といった活動もある。オークションや募金、チケットやグッズの売り上げの一部などを積み立てた「ファイターズ基金」は、災害支援を目的とした募金なども含めてこれまで1.9億円以上の額を地域に循環させてきた。

なぜ北海道の子供は運動能力が低いのか

 ファイターズ広報部SCグループの笹村寛之グループ長は「冬の間体を動かせないということもあり、道内の子供達は全国平均より体力が低いという課題があります。それ以外でも北海道は課題先進地域と言われるように、人口減少や過疎化の問題、ひとり親世帯の割合が全国平均より高いことや、森や海に囲まれている土地柄、環境問題や、ヒグマやエゾジカによる農業被害など様々な課題がある。スポーツ以外のところでも我々ができることを探し、地域の方々と協力していくことが大事だと考えています」と話す。

 実際に、自身の発案から子供の体力向上を目的とした「K.I.D.S.プログラム」を立ち上げた稲葉氏も、イベントで各地域を訪れたり冬の運動会に参加したりする中で、地域課題に取り組む意義を実感してきたという。

「ウインタースポーツを含めてこれだけ1年間スポーツを楽しめる地域なのに、子供達の体力がないのは何故なのか、楽しく運動できるためにはどうしたらいいのかと色々考えてきました。活動の基本は、地域の皆さんが心身ともに健康であってほしいということ。そのためにどんなことができるか、課題もある分、まだまだ北海道には開拓の余地がある。スポーツの繋がりを通してやれることはたくさんあると思っています」

 今年3月には、新球場エスコンフィールドHOKKAIDOと周辺エリアを含めた北海道ボールパークFビレッジが開業した。地域の新たなコミュニティの場としても可能性は広がるが、その一方でSC活動の原点でもある「地域に出向く」ということを大事にしていきたいとも言う。

「やはり色々な地域に選手が足を運ぶことが一番いいきっかけになると思います。本拠地である北海道は本当に広いですからなかなか足を運べない方もいる。来てほしいというだけではなく、出向く、ということを大事にしていきたいですね」

大阪桐蔭高時代は強打者として活躍した松浦投手のバッティングに子供たちも目を輝かせる

鎌ケ谷で伝える社会貢献の意義

「SC活動」が定着するに連れて、選手たちの意識も徐々に変化してきている。「コロナ禍を経験したという背景もあるのかもしれませんが、ここ数年は選手の方から何か行動を起こしたいとか、こういう活動をしてみたい、と相談を受けることも出てきました」と笹村グループ長。稲葉氏はじめ、先頭に立ち活動する先輩の姿を見て育った選手たちが、自分には何ができるかを考え積極的に発信し始めたのだ。

 稲葉氏は新シーズンから二軍監督に就任することが決まった。主戦場は二軍本拠地の鎌ケ谷に移るが、選手を育成し一軍に戦力として送り込むという大役を担う。

「選手には、鎌ケ谷ではなく北海道で活躍することを目指して『僕と一緒にプレーしていちゃいけないよ』ということを言っていくつもり。と同時に、プロ野球選手はすごく影響力があるんだよ、ということも伝えていきたい。若い頃は自分のことで精一杯なのは当然だけれど、その中でも社会貢献という意識を持ち、地域の色々な方と触れ合って、さまざまな活動を通して成長していってほしいと願っています」

 北海道移転から20年目の節目を経て、2024年、ファイターズは新しいステージに立つ。社会貢献活動は成果が見えづらく、すぐに鮮やかな花を咲かせるものではない。それでも試行錯誤を繰り返し耕し続けてきた大地は、多くの人の思いとともに今、豊かな土と希望の種を宿している。

制作:Sports Graphic Number/佐藤春佳/Kiichi Matsumoto

BACK