伊藤華英が目指す、女子学生アスリートだけでなく男性にも知ってもらいたい「生理の正しい知識と理解」
2023/ 12/05
社会貢献活動に取り組むアスリートや団体を表彰するHEROs AWARD。
2023年の受賞者の一人である、元競泳選手の伊藤華英さんが粉骨砕身取り組んでいる活動は、スポーツを止めるな『1252プロジェクト』。
2021年にスタートした『1252プロジェクト』は、「女子学生アスリートの生理と、それに伴う体調変化」という課題と向き合い、啓発や情報発信をする活動だ。
1年52週間のうち約12週間ある生理。女性なら誰もが直面することでありながら、スポーツ界ではこれまで、オープンな発信をされることがなかなかなかった。
伊藤さんは競泳日本代表としてオリンピックに2度出場した元トップアスリート。自身の経験や知見を踏まえ、正しい情報をしっかりと届けたいと精力的に活動している。
――『1252プロジェクト』を始めたのはコロナ禍だった2021年でした。誕生の背景を教えていただけますか?
「2020年に始まった新型コロナウイルスの流行によって、中学・高校・大学の学生スポーツは活動の自粛を余儀なくされました。その時、活躍の場をなくした学生を応援しようというアスリートたちが集まって発足したのが『一般社団法人スポーツを止めるな』です。当時、私は賛同アスリートという立場でこの団体に参画したのですが、コロナ禍以前から女子学生アスリートの月経に関する課題を解決できないかと考えていたこともあり、団体の活動のひとつとして『1252プロジェクト』を提案しました」
――プロジェクトの準備段階にはどのようなことをしましたか?
「科学に基づいた正しい知識や情報を届けたいと思っていたので、専門医や専門家の先生方と連携して教材を作りました。当事者の意識を理解するための情報収集をしたり、トップアスリートの協力を得たりもしています。そして、重要だと思ったのが本当に届けなければならない人へ届けることです。今までも長い間、婦人科の先生方が危機感を頂き、啓発されてこられています。しかし、なかなか知識が広まらないなどの課題がありました。この分野に関しては情報が身近な存在になるような工夫が必要だと思いました」
女子アスリートに知識を持ってほしかった
――2021年3月にプロジェクトを発表した時の反響はいかがでしたか?
「アスリートが月経について発信するというケースがそれまでほとんどなかったので、反響は大きかったように思います。アスリートは、昔に遡れば遡るほど苦しみを口に出すというような文化はなかったように思います。ライバルやチームメイトに弱みを見せたくないという思いは、トップに行けば行くほどあるのもわかります。しかし、生理は一生の健康に関わること。中でも利用可能エネルギー不足による、無月経の問題は深刻で、多くの専門家が危機感を抱いています。ですから、女子学生アスリートには自分の体について知識を持ってほしいと思いました」
――『1252プロジェクト』というネーミングにはどんな思いが込められているのですか?
「女子学生アスリートへの訴求はもちろんですが、同時にこの活動に関しては男性にも正しい知識と理解を持ってほしいという願いがあります。ですからいくつかの候補の中から男性にも敬遠されず、なおかつ“あれっ? 何のことだろう”と興味を持ってもらえそうなネーミングに1252 プロジェクトの中で議論し、決定しました」
――具体的にはどのような活動をしているのですか?
「中学、高校、大学年代の学生を対象に講義(1252clubroom workshop!)を受けてもらいます。最初はオンラインと対面のハイブリッドで始めましたが、今は学校やスポーツクラブに足を運んで、直接お話をする機会も増えてきています。時間で言うと基本的には1時間×2回で、1時間は女子学生だけではなく男子学生や指導者も一緒に講義を聴いてもらい、もう1時間は希望者を集めて具体的な対処法などもお伝えしています。場合によっては専門家も同席して、一緒に話をしています。内容はホルモン療法、PMS(月経前症候群)、ピル、排卵などさまざまなことを話しています。プロジェクトを始めてから約2年半での実施回数は約60回で、参加者は累計で約3000人になっています」
――男子学生も参加するのですね。
「このプロジェクトでは男子学生も女子学生も一緒に講義を受けています。ある大学では半数以上が男子学生だったこともありますよ。将来、保健体育の教員になりたいという男子学生も多くいて、『勉強になった』『今まで知らずにいて恥ずかしい』など、ポジティブな意見を聞きました。ただ、一番多いのは『知らなかった』という声。『月経に対して興味がない』『知るのが嫌』というネガティブな反応も多いです。けれどもやはり、私たちが真剣に伝えれば学生の皆さんは真剣に受け取ってくれるという印象です」
人材と資金の不足が課題
――課題はありますか?
「人材不足ですね。やはり、広めていくにはマンパワーが必要です。それと費用の問題。非営利団体として行なっている活動なので資金調達が難しいのが現状です」
――そのような状況ですと、自治体との連携が始まったのは朗報ですね。
「来年に第1回目の国民スポーツ大会(※1946年に始まった国民体育大会が2024年から名称変更)を開催する佐賀県と、このほど『女性アスリート支援に関する連携協定』を結びました。地方では学生アスリートが相談できる産婦人科が近くでなかなか見つからなかったり、10代の女性が産婦人科に行きにくいような雰囲気があったりします。学校ももちろんですが、自治体との連携はこれからもっと増やしていきたいと考えています」
――海外にも展開していきたい?
「共同で企画を実施したことのある全日本柔道連盟を通じてつながった国際柔道連盟の役員が賛同してくださり、『1252プロジェクト』を公式HPで紹介してくれました。世界的に見ても、お医者様による発信は少なくないのですが、アスリートによる活動は珍しいようなので、今後は英語での発信もやっていかなくてはと考えています」
女子学生アスリートが選択肢を持てることが大事
――啓発活動の一環として、来年3月には『検定』も誕生すると聞いています。
「検定には専門的な内容の1級とベーシックな内容の2級があって、女性特有の月経課題を中心に、基礎データ、医学、運動生理学、栄養学、アンチ・ドーピング、ストレングス&コンディショニングとケア、コミュニケーションなど7つの分野から出題されます。アスレティックトレーナーの分野やジェンダー、セクハラ、パワハラにも触れていて、指導者の方がどういう声がけをしたら良いのかという内容も入っています」
――マネジメント職の人が受けるのも良さそうですね。
「男性が女性の部下にどう声をかけていいかわからないという悩みはすごく多いんですよね。全然知らないという人もいますし、知識はあっても声がけの仕方がわからないとか、声がけするのが怖いとか。日本では生理休暇の取得率が1%という調査結果がありますし、スポーツの現場でも男性指導者に知識がないから相談しないということも聞きます」
――今後への思いを聞かせてください。
「今の日本では、女子学生たち自身の知識が不十分なうちに月経が始まって、大体の場合は正しい知識を得る機会がなく大人になっていきます。そうではなく、女性は自分の体のことを知ってほしいですし、指導者や家族の方々にも一緒に学んでいただくことで月経がひとりひとり違うという共通認識を持ってもらいたい。第三者が間に入ることはそういう面で活きると思うんです。特にこれからトップを目指すような選手であれば、指導者も知識を持ってほしいと思っています」
――女子学生アスリートやその周りにいるすべての“当事者”が正しい情報を知ることが重要ですね。
「注意したいのは、この情報が良いからこうしましょうというのではないということ。情報を持つことで女子学生アスリートが選択肢を持てることが大事です。最終的には教育の中に入って、それをみんなが伝えられるようになってほしいというのが私の願い。そしていつかは、『1252プロジェクト』がなくなって、当たり前のことになっているのが理想ですね」
制作:Sports Graphic Number/矢内由美子/Kiichi Matsumoto