難病の闘病中に気づいた「社会を変えてやろう」“らしくない”場所で骨髄バンクイベントを行うプロスノーボーダー
2023/ 12/01
プロスノーボーダーの荒井daze(ダゼ)善正が、日本財団が主催するアスリートやスポーツに関する社会貢献活動を表彰するHEROs AWARD 2023を受賞した。荒井は骨髄移植を受けた自らの闘病経験を元に、一般社団法人SNOWBANKを設立。骨髄ドナー登録や献血への協力者を増やすことを目的としたプロジェクト『SNOWBANK PAY IT FORWARD』を立ち上げ、さまざまなイベントを企画・運営している。
特に2011年から続けている『東京雪祭』では、東京・代々木公園を会場にスノーボードコンテストなどを行い、ドナー登録や献血の問題に触れる機会の少なかった層に対して問題意識の共有を図り続けてきた。11月12日には今年の東京雪祭を終えたばかり。「献血や骨髄バンクは誰かのためにするのではない。みんな自分自身や自分の大切な人を守るために準備しておくべきこと」という荒井に、プロジェクトについての話を聞いた。
――今年の東京雪祭も無事終わりました。たくさんの出店も賑わっていたし、何よりスノーボードコンテストが大盛り上がりでした。
「コロナも明けたせいか、ここ数年に比べて格段に盛り上がりました。僕らの活動は必要緊急なもので不要不急なものではありません。だからコロナ禍でも続けてはいたんですが、今回はすごく寒かったにもかかわらず、おそらく過去最多の来場者だったんじゃないかと思います」
――10年以上続けてきた積み重ねも大きいのでは。
「そうですね。昔は東京ドームでやっていた『X-TRAIL JAM』とか札幌ドームでの『TOYOTA BIG AIR』とか都市型のイベントがたくさんあったんです。いまはそういうイベントがほとんどなくなってしまった。その分、僕らのイベントの価値が歴史を重ねるごとに高まってきていると感じます」
――継続してきたからこそ、新しく見えてくる難しさもあると思います。
「何といっても新規の献血、ドナー登録者の獲得ですね。このイベントの目的は、いま治療をしようとする全ての患者さんがそのスタートラインに立てる環境づくり。ただし、ドナー登録は一度登録したらそこからは登録済みになるので、新規を獲得していかなければペースは落ちてしまいます。スノーボードだけでなく、音楽やスケートボードを取り入れ、あとはHEROsのようにスポーツアスリートの協力を得ながら新しいコンテンツをどんどん入れていく作業が必要なんです」
献血者、ドナー登録者ともに減ってしまった
――献血やドナー登録者の推移はどうなっているのでしょう。
「東京雪祭での推移は、昨年まではかなり順調に増えてきていましたが、今年は献血者、ドナー登録者ともに昨年より減りました。これまで100人を超えていた新規ドナー登録数が、100人を切ってしまった。ついに壁がきたのかもしれません。来年に向けて工夫が必要ですね。ただ、SNSを見ていると、最初はスノーボードの楽しいイベントだと思って来場していた人が3年目ぐらいで趣旨を理解して登録してくれる。そういう人がかなりいるんです。だから種まきですよね。芽が出るのに時間がかかる。潜在的な提供者はまだまだいると思うので、さまざまな形でアプローチしていきたいです」
――そもそもこのイベントは荒井さんの闘病中の思いが出発点になっていると聞きました。100万人に1人という難病だったそうですが。
「プロスノーボーダーとしての活動が軌道に乗り始めていた2007年に原因不明の体調不良に見舞われたんです。最初は扁桃腺がすごく腫れて。病院では2、3週間で収まるだろうと言われましたが、徐々に手が震え出したり、足がしびれたりするようになった。いくら検査を受けても病名もわからない。スノーボーダーとしての活動も続けていたのですが、ある日、自宅で気を失いました」
――それで「慢性活動性EBウィルス感染症」とわかったわけですね。
「すぐに診断が出たわけではありません。しばらく検査が続いてそれでもわからず、最後は柏の国立がん研究センターにセカンドオピニオンを求めに行って、ようやく世界でも稀な病気だとわかりました。治すには骨髄移植しかない。ただ、骨髄の型が兄とも一致せず、どうしようと思った時に紹介されたのが骨髄バンクでした」
――プロジェクトを始めた当初は反発というか理解されない難しさもあったのではないかと思います。
「僕は6年ぐらい全国骨髄バンク推進連絡協議会というNPOの理事をやっていて、その時にこのイベントを独自に開催しようと企画しました。当時言われたのは、『骨髄バンクらしくない』と。『何でスノーボードなの? dazeくんがスノーボードしたいだけじゃないの?』って。それを聞いて、だからこそ自分が関わる意味があると思いました。もちろん骨髄バンクを作ってくれた先輩たちをすごくリスペクトしています。行政や国にアプローチする上で協議会の活動は絶対に必要。だから、彼らを変えるんじゃなくて、自分が新しく作るしかないんだなと思いました」
――スノーボーダーの間にもイベントの趣旨が理解されてきた手応えはありますか。
「この 13 年間でライダーも変わりました。初年度なんてライダーも『なんで献血と骨髄バンクとスノーボーダーなの? なんかダセえな』みたいな感じでしたから(笑)。今年のライダーは全然違いますよ。『自分たちのライディングによって献血やドナー登録を獲得できて、誰かを助けることに繋がる素晴らしいイベントです』と勝手に発信してくれています」
――ドナーはすぐに見つかったのでしょうか。
「いえ、登録しても自分に完全に一致する型を持ったドナーは全国に14人しかいませんでした。しかも当時、そのタイミングで提供できる人は一人もいなかったんです。ドナー登録してから1カ月で連絡が来る人もいれば、10年来ない人もいる。ドナーの方も環境が変わってしまっていたんでしょうね」
――「5年生存率50%以下」という宣告もされたそうですが、治療もままならず精神的にはかなり追い込まれた状況だったのでは。
「こんな豊かな日本でこんな現実があるんだと思いました。その時に、もし生き残ったら『あなたのドナーは14人です』って言われる社会じゃなくて『100人いますよ』『1000人いますよ』って言われる社会に変えてやろうと考えたんです。それが治療のモチベーションにもなりました。実際にドナーが見つからなかったことで絶望してしまう、治療を諦めてしまう患者さんもいるんです。僕は半年後に完全一致ではなく、部分一致の50代女性から提供を受けられることになって命が繋がりました」
らしくない場所に行く意味
――それがどうしてスノーボードのイベントを始めることになるのでしょう。
「先ほども言ったように、新規の登録者がいないとドナーは増えていきません。“骨髄バンクらしい”イベントをやっても、らしい人しか集まらないんです。そこに来る人はみんな骨髄バンクの存在やその必要性は知ってるんですよ。だったら僕は“らしくない”場所に飛び込んでいこうと考えました」
――スノーボードでありながら会場が街中なのも同じ考えからでしょうか。
「そうですね。そこはスノーボードの素晴らしさを知ってもらうためでもあります。雪山でイベントをやっても周りは知ってる仲間ばかりで観客もいない。当初は渋谷とは思っていませんでしたが、代々木公園なら多くの人の目に触れることができます」
ライダーはカッコよく滑ってくれればいい
――ことさら荒井さんからお願いしなくても自然にそうなっていると。
「僕がイベント開始時にライダーに伝えているのは『君たちはカッコよく滑ってくれればいい。それで人が魅了されて集客できて、このイベントの趣旨を理解してくれるようになる。その果実は僕が収穫していくので、みんなはただカッコよく滑ってくれ』ということです。あと『継続する上でちゃんとルールは守ってね』と(笑)。無理やりお願いしても言わされている感じがしてしまうし、自分事として発信してこそ初めてパワーが出る。それでもライダーたちは勝手に告知してくれるし、献血やドナー登録もしてくれているんです」
――プロジェクトの将来像はどのように考えていますか。
「僕が目指しているのは、SNOWBANKが必要ない社会を創ることです。SNOWBANKがなくても若い人たちが自発的に献血やドナー登録をしてくれたり、スノーボードのイベントを作ってスノーボードを盛り上げてくれたら、言うことはありません。そんな社会をいつか実現させたいですね」
制作:Sports Graphic Number/雨宮圭吾/Hideki Sugiyama