HEROsでは、競技以外の場面においても広く社会のために貢献したアスリートたちを、誰もが憧れるようなHEROとして讃え賞賛する『HEROs AWARD』を実施しています。
今年、この『HEROs AWARD アスリート部門』を受賞したのが、元バレーボール女子日本代表の益子直美(ますこ・なおみ)さんです。
引退後はスポーツキャスターを始め幅広い活動をしていた益子さんは現在、「監督が怒ってはいけない」ことをルールとするバレーボールの大会を主催しています。
スポーツ現場における体罰やハラスメントは令和の時代になっても止まらず、ひとつの社会問題として残り続けています。「スポーツの指導でそれは当たり前」という声も上がるほど。こういった環境を変えていくこと、そして、子どもたちの成長を促し可能性を阻害しないことを目的として、大会はスタートしました。
この大会の背景にある益子さんの辛い過去、そして “怒り” を伴う指導がなくなった先に見えるものとは。
“やめた後” が怖くて、やめられなかった。
私はバレーボールが大好きになって始めたのですが、怒られる指導を受け続けたことによって、いつの間にか大嫌いになってしまったんです。結果として、大きな目標を成し遂げるのではなく、引退することが目標になってしまいました。
小中学生のころは先生に対して「怖い」という感情しか持っていませんでした。練習が近づくと「先生、今日風邪引いて休んでくれないかな」とか「雷が落ちてくれないかな」と、練習が休みにならないものかと、常に考えていました。
「そんなに嫌だったなら辞めればいいじゃない」と思われるかもしれません。でも、そう簡単にいかないんです。
「バレーボールは益子さんにとってどんな存在だったんですか」という質問をされることもあるのですが、それに対して私は「全てです」と答えていました。本当に「全て」だったんです。それ以外のことをやってこなかったので、バレーが無くなったらどうやって生きていけばいいのだろうか、と考えて怖くなってしまうんですよ。だから、本当はやめたかったのにやめられなかった。やめたら “空っぽ” の自分になってしまうと思っていました。
当時は休みもなかったですし、他競技の選手と話をする機会もありませんでした。閉ざされた世界の中で文字通りバレーボールだけをやってきて、他との比較もできないので、自分がどういう環境にいるのかがわからないんです。他の世界に出会うことができれば、もう少し心に余裕を持ってバレーを楽しめていたかもしれません。でも、私にはバレーしかなかったので、それを無くすことが怖くてやめられませんでした。
そんな経験をしたにも関わらず、私自身が大学のバレー部の監督を務めたときに、勝たせるために怒りを使ってしまったんですよ。怒りのパワーって絶大で、短期間で結果が出るんですよね。多くの指導者はそれを知っているから、怒りを使うのかなと。
私もそこで怒りのパワーを知ることになったのですが、副作用も大きかった。子どもたち、選手たちがコートの上で、自ら考えて動けなくなってしまっていることに気づいたんです。
思考が止まってしまっていたんです。そこで、「私はなんてことをしてしまったんだろう。みんなの主体性を奪ってしまった」と後悔し、自己嫌悪に陥りました。
身を持って “怒る指導” がダメだとわかっていたのに…それを使ってしまったんです。変なプライドが邪魔をして、他の方法を学ぶ機会も作りませんでした。「もう50歳もすぎているし、今更学ぶことなんて…」とか「元全日本の選手が学ぶのは恥ずかしい」とか。今思うと最低だったな、と思います。
“怒る”以外のアプローチを、自ら学んだ
スポーツは本来、学校では学べない非認知能力やチームワーク、主体性、自主性というのが学べる素晴らしいツールです。なのに、その入り口である小学生に対して怒る指導があると、子どもたちがスポーツを楽しんで続けられない。だから、いまの子どもたちには「スポーツって楽しいんだな」「もっとやりたいな」と思ってもらえるような環境作りに取り組みたいと思いました。これが、「怒ってはいけない大会」をスタートさせた背景です。
これまで様々なバレーボール大会を見てきましたが、とにかく怒る指導者の方が多い印象を受けました。子どもたちにとっては、“負けたら怒られる” 環境が多かったんです。だから、とにかく私の大会だけは楽しくて怒られないという大会にしてあげたいな、と思いました。
ただ、自分自身には“怒る指導”に関しての知識しかありませんでした。先に話した通り、大学でもそのアプローチをとってしまったくらいですから。なので、新たな勉強をはじめたんです。スポーツメンタルコーチングを学び、アンガーマネジメントのセミナーも受け、この大会や考えを広めていくためにファシリテーターの資格もとりました。あとは、いちばん大事な “褒める“ ことができなかったので、『ほめ達!』という検定試験を受けました。スポーツマンシップのセミナーができる資格もとりました。
本当に遅かったと後悔するばかりなのですが、間に合ってよかったと今は思っています。何を始めるにも遅いことはないし、いつからでも未来は開けると身を持って感じています。だからこそ、怒る指導ばかりをしていた指導者の方々にも、学ぶ機会を作って欲しいなと。大会を重ねるごとにパワーアップしながら、少しだけアドバイスする時間を作らせてもらっています。
“怒る指導” が子どもたちの可能性を奪う
私は怒られる指導をずっと受けてきて、自信が全くないまま大人になってしまいました。人に決められたことはしっかりとできるんですけど、自分でなにも決められない人間になってしまったんです。厳しい指導を受け怒られ続けたことで、自己否定ばかりするようになり、自分のことが大嫌いになってしまいました。
どうすればバレー嫌いにならなかったのかと、ものすごく考えました。結果として、スポーツは人に言われてやるものではなく、自分から楽しみたい、成長したいという思いが背景にあって取り組めるものだと思いました。
怒る指導では、子どもたちの主体性や自主性、学ぶきっかけも奪われてしまいます。そして、笑顔も。
スポーツは人間力が磨かれる素晴らしいツールのはずなのに、それをがんじがらめにして、一人ひとりの意志を無くしてしまうような環境にしてしまう危険性が、“怒る指導”にはあります。
私の大会では、指導者の方々に「この益子カップだけは怒らないでください」とお願いしています。「ミス」という言葉もなるべく使わずに、チャレンジとして褒めてあげてください、とも伝えています。指導者にとっては怒りを封印するチャレンジです。
こういう話をすると、「益子さんの大会は楽しめばいいんですか」と聞かれるんですけど、そんなことはありません。スポーツは障害があって、それを乗り越えていくことで成長もできる素晴らしいツールです。だから、「勝利を手放すことはしないでください」と伝えています。
ただ、怒りを使わなくても子どもたちを励まし褒めることで “育成と勝利” の両方を手に入れることができるはずです。指導者の方には、その2つが手に入るような指導方法のチャレンジをお願いをしています。怒る指導がメインの監督さんは、“怒りを手放す” イコール “勝利を手放す” という思考になってしまいがち。でも、「絶対に勝利は手放しちゃダメです」とお願いしながら、指導にチャレンジをしてもらってます。
スポーツは強制されるものではなく、人間形成に寄与する素晴らしいツールだと思うんです。日本の将来のために、素晴らしい人材を育てるという観点においても、スポーツは主体性、自主性、想像力とかものすごく必要な力を養えるものだと思っています。そして、ここで学んだことはスポーツの分野だけではなく、いろいろな面で発揮されることは間違いありません。子どもたちにとっても、先に繋がる大事な活動の一つになるのかな、と。
子どもたちは一人ひとりが違う存在で、それぞれが素晴らしい能力を備えている宝だと思うんです。そういった子どもたちを否定せずに褒めて、認めてあげる。それが彼ら彼女らの自信につながって、将来ものすごく幅の広い人間に育っていくと思います。
何よりも私自身が抑えられて指導された結果、心に余裕がなくなり、自分の思っていることや意志を発表することができなくなってしまったんです。「発言するのが怖い」「自分が間違ったらどうしよう」 と、常に考えてしまっていました。
こういった保守的な考えを持つ私のような子どもではなくて、どんどんチャレンジをして新しい日本を作っていくような子どもが、この大会からたくさん生まれてほしいですね。
活動を始めて8年目を迎えましたが、今後はスポーツ界だけではなくて、違う世界でもタッグを組んで活動を広めていくようなムーブメントを起こしたいなと思っています。
アスリートは人の人生を変えることができる
アスリートの皆さんはこれまで取り組んできたことを“普通”だと思っているかもしれません。でも、とんでもないことをしてきているんですよ。普通の人がやれないことをしている。だからこそ、アスリートが発信する意義があるんです。
私も、オリンピックに行けなかったことがコンプレックスでした。弱かったな、情けなかったな、と思っていました。でも、こういった経験をした私だからこそできる活動でもあると、今は思っています。
現役中は、「プレーに集中しろ」とよく言われてましたし、今もアスリートに対してそういう声が出てくると思います。でも競技以外にもう一つ柱になる活動があると、心の拠り所にもなりますし、心の幅ができるんですよね。だから、私はいろいろなアスリートができる活動を探してトライしてほしいと思っています。
もちろん、余裕がなかなかないこともわかっています。でも、一度でいいから、トライしてほしい。小さな活動でもそれをやってみるとプレーに磨きがかかったり、心の余裕が生まれたり、自分自身がスポーツをやる意義がわかったり……と色々な面でプラスになると思います。
私は、現役時代なにもできなかったことを後悔しています。もっともっと現役中に子どもたちに関わるとか、いろんなところに行ってバレーを教えるとかできたら…と後悔しました。それに、現役中のほうが知名度も影響力もあるので、活動も広まるんです。
私は中学3年生のとき、1度バレーから離れたことがありました。精神的にもへこんでいる中、W杯バレーを代々木体育館まで観にいったのですが、試合後に中国の男子ナショナルチームのワン選手と握手をしたんです。
憧れていた選手に、間近で触れ合うことができたんです。
彼の手は、手のひらを2枚重ねてるぐらいの厚みがありました。それにすごく感動してしまって。「世界のエースの手はこんなに厚いんだ」と。それを機に、次の日にまたバレー部に戻りました。
アスリートって、それぐらいのパワーを持っているんです。人の人生を変えること、前向きにすることができるんです。握手をしたり声をかけたりするだけで勇気を与えられる存在って、なかなかいないですよ。多くのアスリートには現役中から活動をしてもらいたいし、声を上げてもらいたいなと思います。それが、未来を担う子どもたちを救うきっかけになるかもしれないので。
私は現役時代に悩んでいたことを表に出して、今こうやって活動をしています。大変なことも多いですが、充実感もあります。新しく見える世界もある。だから、現役のアスリートの皆さんも、一歩を踏み出し活動してほしいなと。それによって救われる方がたくさんいるかもしれませんから。私も応援するので、ぜひ行動に移してほしいです。