大きな社会問題である「いじめ」。
このつらい経験を乗り越え、力強く生きる先駆者たちがいます。
1988年のソウルオリンピックからバレーボール日本代表をけん引し、世界と戦った大林素子氏。小学校のころに身長が原因でいじめに遭いましたが、つらい経験を糧にバレーボール界の主役となりました。
お茶の間の人気者として、テレビ番組等でニューハーフの新境地を拓いたはるな愛氏。幼少期からジェンダーギャップに苦しみ、いじめに遭いますが、それをバネに一躍スターダムにのし上がりました。
さまざまな要因が複雑に絡み合い発生する「いじめ」。いじめが発生してしまう原因について、大林氏、はるな氏の2人はどのように考えているのでしょうか。子どもたちそして周囲の大人たちへ、いじめを経験した当事者からのメッセージを聞きました。
どうして、周りと違うといじめられる?
――現在は明るく表舞台で活躍をされているお二人ですが、過去にはいじめを受けていた経験があるのですよね。
はるな愛(以下、はるな):私は小学生のころから女の子らしくありたかったのですが、自分がどういう存在なのか、当時はめちゃくちゃ悩んでいました。それが原因で上級生の男子から「女の腐った天ぷらだ」とか、ひどい悪口を言われたりしていじめられていたんです。
家に帰っても、お父さんやお母さんからは「男らしくしなさい」って言われるような昭和の時代の環境だったので、自分の本当の姿を打ち明けられなかったんです。だけど、上級生に悪口を言われたときは本当に耐えられなかった。泣きながら帰宅したら、お母さんが心配してくれたんです。普段は内向的な性格のお母さんが、悪口を言った上級生の家に抗議をしに行ってくれました。
でも、そんなお母さんも私が中学校に上がると考え方が少しずつ変わってしまって「男らしくしないと、いじめられちゃうよ」と。宝塚歌劇団の男役の仕草を真似てみたり、本当の自分をまた隠して、演じていたんです。
それがよくなかったのか、同じクラスの子から目をつけられてしまいました。足をひっかけられたり、どつかれたり……。とてもつらかったです。今思えば、いじめっ子は弱い私をいじめることで「自分が強い」と思いたかっただけかもしれません。
大林さんがいじめられていたのは、身長が原因だったのですか?
大林素子(以下、大林):そうですね。私は小学校6年生で170cmあったので、同級生からは「デカバヤシ」「ウドの大木」などと言われていました。主に悪口を言っていたのは4人くらいの同級生だったのですが、ほかのクラスメイトにも好奇の目で身長を揶揄されるようなことがありました。
当時は街でランドセルを背負って歩いていると、大人より背が高かったのでヒソヒソ言われたりして、それもつらかったです。殴られたり、危害を加えられたりはしなかったんですけど、みんなの言葉や態度で傷ついていた時代でした。
はるな:それはめちゃくちゃつらいですよね。もちろんダメなことだとは思うんですけど、子どもって日常の些細な不満を悪口にして解消するような節があるじゃないですか。他とは違う特徴を持つ子が、そういったストレスのはけ口にされていたと思うんですよね。
あの頃のテレビ番組って、バラエティでもドラマでも女の子っぽい男の子や、身長が大きな子どもとかは出演していなかったじゃないですか。なんというか、特徴が統一されていたというか。そういった部分に世間がもっと疑問を持ってくれていたらよかったなって、思ったりしませんか?
大林:そうですよね。歴史的に「こうあるべき」というものがあるから、あの時代に我慢しなきゃいけなかった人たちはたくさんいたと思います。その我慢していた人たちが先駆者となることによって、今は少しずつ違いを認め合えるような社会になりつつあると思います。ただ、当時は生きづらさはありましたよね。
いじめを乗り越えられる「居場所」との出会い
――お二人は、いじめのつらさをどのように乗り越えていったのでしょうか?
はるな:本当の自分でいられる「居場所」と出会ったからだと思います。親がスナックを営んでいて、そこで松田聖子ちゃんの歌をカラオケでお客さんみんなに聴いてもらっていたんです。すると14歳の頃、お客さんから「ケンちゃん(はるなさんの愛称)と同じような人たちがいる場所があるから」と、ニューハーフが集うショーパブに連れていってもらったんです。
そこではドレスを着たキレイなニューハーフのお姉さんたちが踊っていて、お客さんたちがものすごく拍手をしていたんですよ。「ここが憧れのステージや」「ここが自分の居場所だ」って、強く思ったことを覚えています。
そこから、いじめがあっという間になくなったんです。たぶん、居場所を見つけて、自分に自信がついたのが、周りからも明らかに分かったのだと思います。水を得た魚のように「女の子になりたい」という本当の姿もさらけ出せるようになりました。
大林さんはバレーボールという「居場所」をどうやって見つけたんですか?
大林:私は「死にたい」という失意の中で見つけたと思います。小学校4年生のとき、住んでいた団地の屋上から靴を脱いで飛び降りようとしたのですが、当時の私はそこまでの勇気はなく、そのまま帰宅して溜まっていた気持ちを紙に書きなぐりました。ひと通り書き終えて思ったのが「なぜあの人たちのために死ななきゃいけないの?」だったんです。
たまたま、その時にTVアニメの『アタックNo.1』が放送されていて、それを観て決意したんです。バレーボールでオリンピックに出て、言葉は悪いですけど「いじめっ子たちに復讐しよう」と。1988年のソウルオリンピックに出場が決まって、かつてのいじめっ子たちが私のサインをもらいに来たときは「勝った!」と思いましたね。
はるな:なるほど、それはすごい(笑)。私も「死にたい」と、歩道橋の上から飛び降りようとしたことがありました。ただ、「あいつのいじめのせいで親を泣かしたらアカン」と踏みとどまりました。学校やクラスという小さいコミュニティや横並びの社会では、個性を消されてしまって、自分探しをしなきゃいけないんですよね。
大林:そうですよね。そういった意味で、バレーボールのコートは、私の「居場所」になっていたんです。いじめられながらも、コートに入ってる瞬間は幸せで楽しくて、自分が夢を追える場所でした。
もし悩んでいる人がいたら、ずっとそこにいる必要はないと伝えたいです。勇気をもって新しい環境に飛び込むことで、夢や目標が見つかるかもしれません。それが、スポーツやエンタメの持つ力だと思います。
ただ、私たちは自分の道を歩むことができているからこう思えているけど、それをできない人たちはたくさんいます。だからこそ、親や先生など周りの大人から「居場所」を見つけられない子どもたちに、いろんな可能性やチャンスを提示してあげることが大事だと思います。
私たちもこのような場で、メッセージを伝え続けていきたいと思っていますし、自分の道を探すきっかけ作りができたらいいなとは思いますよね。
いじりといじめ、愛と悪意
――お二人はテレビ番組などにも数多く出演されていますが、その中では共演者の方から学生時代と同じような言葉を投げかけられることもありますよね。
大林:まさに「いじめ」と「いじり」の境界線は難しいけどありますからね。
はるな:私たちがテレビ番組で共演者の方にいじられていたとしても、誰か他の方がいじってOKかと言われたら難しいところではありますよね。
大林:大林:細かいところではありますが、「大きい」ではなく「デカい」と言われると、正直嬉しくはないですね。しかし、芸能の世界で生きていると、いじられてナンボであり、武器になることもあります。今では私の「大きい」ネタは、ある意味で代名詞のようなものでもあるので、言葉のチョイスって難しいですよね。
はるな:そうですよね。芸能人はどこに行っても舞台に立っているときと同じくらい注目されるということは重々理解してるのですが、疲れているときや落ち込んでいるときはどうしてもやりきれないなと思うことも多々ありますね……。愛があるか、悪意があるか、その人との信頼関係が重要だと思います。
違いを認め合える社会にするために
――いじめが起きない社会にするために、大人ができることはなんでしょうか?
はるな:自分自身の人生を生きることだと思います。誰かを中傷したり、いじめたりする時間って、もったいないじゃないですか。私は最後の最後まで「大西賢示(※はるなさんの戸籍上の名前)」の人生を作りたいと思います。やりたいことがたくさんあるし、みなさんには自分の時間、人生を豊かにするために使ってもらいたいです。
とある被災地に訪問したときに、子どもから「気持ち悪いね」「なんで来たの?」って言われて石を投げる素振りをされたことがありました。他の人はもちろん止めていたのですが、そういう言動をしてしまうということは、多分家庭で覚えていくものだと思うんです。
そのときはすごく衝撃的で何も言い返せなかったのですが、やはり家庭で親となった大人のみなさんは、「社会のみんなと、違いを認めあって関わってほしい」と教えるべきなんだろうなと感じました。
大林:そうですよね。世の中の価値観やルールが変わってきているなかで、先生や親がしっかりと伝えないといけないですよね。一方でスポーツも含め、教育の仕方が難しくなってきていると感じます。
指導と怒ることはもちろん違うとは思いますが、指導する立場からはそういった基準に対して恐怖心があり、なかなか強く言えなかったりもしますしね。教育の形も議論していく必要があると思います。
いま、「死にたい」と思う君へ
――最後に、今こうしていじめに悩んでいる子どもたちに向けてメッセージをお願いします。
はるな:本当にこれだけは絶対聞いてほしい。いじめられていた経験を乗り越えることは後に大きな力に変わるまで、めちゃくちゃつらいし、簡単なことではないと思います。だけど、学校や家庭の外にもっと大きな世界が広がっているんです。
行きたい場所に行けて、食べたいものが食べられる。頑張って働いて、給料をもらって、買いたいものが買える未来があるんです。そういう人生が始まってから、死について考えてみてもいいかもしれません。私は、いじめられていた時期に死なないでよかったなと思います。残りの人生、もっと行きたい場所があるし、いろんなことをやってみたい。
だから子どもたちには、あとから振り返ったら今悩んでいることはごくごく小さなことなんだよって教えてあげたいですね。居場所は絶対にあるし、応援してくれる人も絶対にいる。人生は楽しいことばかりじゃないですが、そういう人たちと過ごす楽しい時間があるから、底から這い上がれもすると思います。
大林:昔は死が逃げ場所に感じていたかもしれないけど、実際に死が迫ってくると、生きていることの大切さを初めて実感するようになりました。
いじめられている子たちは、今ものすごくつらいと感じていると思います、だけど、一人じゃないんですよ。私のサインが欲しいと言っていた元いじめっ子も、今は友人関係を築けています。応援もしてくれるし、「あのときは、いじめているつもりはなかった」と、話してみたら通じたんですよね。こうして時間が解決してくれたこともあります。
バレーボールが救ってくれた部分もあります。やっぱりスポーツの力はすごく大きいと思いますし、夢の持つ力もそうです。親や先生や周りの大人が、それを見つけるように手助けできる社会になったらいいなと思っています。