「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、知的障害のある作家とのライセンスビジネスなどを展開する福祉実験ユニット、ヘラルボニー。昨年5月には、プロバスケットボールBリーグに所属する岩手ビッグブルズから伊藤良太氏が、人事責任者として入社したことでも話題を集めています。
このヘラルボニーの代表取締役社長・松田崇弥氏とプロバスケットボールBリーグに所属する岩手ビッグブルズから人事責任者として入社した伊藤良太氏が、車いすバスケットボール日本代表として東京パラリンピックに出場し、銀メダルと個人MVPを獲得した鳥海連志選手と対談。アートとスポーツという異なる分野から、現在の日本が抱える社会課題やそれぞれの領域が果たす役割、またそのコラボレーションがもたらす可能性について語り合いました。
既存の「障害者」のイメージを変えていく
―最初に、ヘラルボニーの活動とスポーツとの関わりについて教えていただけますか?
松田崇弥氏: 私たちは一卵性の双子で会社を運営しているのですが、4歳上に兄がいる三兄弟なんです。兄は生まれながらにして重度の知的障害を伴う自閉症ですが、我々家族にとっては、当たり前のことですし、とても仲良く楽しく今も暮らしています。
ただ、やはり一歩外に出ると、「障害者」という枠組みの中で生きていることを感じます。兄が時々、「謎の言葉」を発したりするのは、私たちにとっては日常でBGMのようなものですが、外の社会では周囲から奇声だと言われますし、悪意を持って真似されたりするので、昔から悔しい思いをしていました。
そのため、ずっと知的障害のイメージを変える活動をしたいと考えていました。そして、25歳の時に知的障害のある方のアートに出会いました。その時、衝撃を受けると同時に違和感も覚えたんです。
作品として十分素晴らしいにも関わらず、「障害者」という枠組みのオブラートに包まれてしまうことで、作品性が損なわれているように感じたんです。これは非常にもったいないなと思い、アートの素晴らしさをシンプルに伝えようと、27歳の時にヘラルボニーを立ち上げました。
伊藤:私は、元々サラリーマンとして法人営業をしながら実業団でバスケットをプレーしていました。岩手ビッグブルズに移籍するタイミングでプロ選手になったので、いわばプロスポーツ選手に「転職」したことになります。
そして、東日本大震災から10年というタイミングで私はキャプテンになったのですが、当時のブルズはチームのビジョンとして「復興のシンボルになること」を掲げていました。そのため、もちろん勝つことも重要ですが、震災があった場所から復興に向けた姿を社会に発信したいという思いも強かったのです。
そうしたタイミングで偶然ヘラルボニーのアートマスクに出会いまして、「なんだ、このかっこいいマスクは!」と衝撃を受けました。調べてみると、その他の活動も強烈で、文字通り異彩を放っていますし、同じ岩手で活動しているという繋がりもあり、「何か一緒にやりたい」という思いが強くなりました。
そして、岩手で活動している副社長の松田文登とお互いのビジョンを話し合う中で生まれたのが、ビッグブルズとヘラルボニーの復興記念のユニフォームという企画です。このコラボではスポーツ、アート、福祉を掛け合わせることで、復興から「誰も取り残さない社会」を発信することができたんじゃないかと思います。
鳥海連志氏(以下、鳥海):僕が所属する神奈川VANGUADSの代表である西村が、これからチームを変革していくにあたって、ウェアのデザインを検討していた時にヘラルボニーの名前が出てきたんです。元々西村は、ヘラルボニーの商品をよく買っていて、「うちのクラブもヘラルボニーから影響を受けた方が良い」という話をしていたんですよ。
僕は、そうしたタイミングで初めてヘラルボニーを知ったのですが、実際にサイトなどを見てみたら、「あ、これは見たことある。イケてるな」と思いました。
松田:ありがとうございます。とても嬉しいですね。
鳥海:僕はリオパラリンピックにも出場しましたが、ほとんどベンチでした。東京パラリンピックを目指す中でも、ずっと思い通りのプレーができない時期もあって、メンタル的に追い詰められて「やめてしまおうかな」と考えたこともあったのです。
当時は、「東京パラリンピックに出て、ファイナルコートに立つ」というのが僕の夢だったのですが、ある時、「これって自分だけの夢じゃないな」と考えるようになりました。家族、担任の先生、先輩たち…。様々な人たちが僕の夢を一緒に支えてくれている。このことに気づくことで、リスタートすることができたのですが、一方で「日本の柱としてプレー」したいと考えた時に、「今のまま走り続けても無理だろう」とも感じていました。
つまり、これまでとは違う「自分だけの道」を見つけなければならないと考えるようになったんです。なので、当時はそうした言葉も知らなかったですが、ヘラルボニーがミッションとして掲げている「異彩を、放て」というフレーズは、まさに自分が軸として意識してきたことだと思いますね。
実際に、ヘラルボニーを知った時には「メチャクチャ親和性があるじゃないか」と親近感を感じました。「常識を打ち破りたい」というか、現在多くの人が持っている障がい者のステレオタイプとは異なる、一人一人の個性を追求したいという思いは、ヘラルボニーと共通しているように思います。
アート×スポーツには、まだまだ伸び代がある
-アートとスポーツが連携することの可能性についてはどのように考えていますか?
伊藤:復興記念試合は岩手の釜石で行われたのですが、多くの人が「素敵なユニフォームだね」と言ってくださいました。対戦相手のチームのファンの方も関心を持ってくださって、これをきっかけに見てくれる方が非常に増えたんです。
これはまさに「スポーツの力」だなと。タッチポイントを増やすことができる点は、非常に強いと思います。そして、「素敵なアートだな」ということをきっかけに調べた結果、知的障害のある方の描いた作品だと知ってもらうことができたら、それは素晴らしいことですし、それこそがスポーツの可能性と言えるでしょう。なので、スポーツ×アートの掛け合わせには、まだまだ大きな可能性が秘められていると思いますね。
鳥海:僕自身もヘラルボニーのアイテムは単純にカッコいいと思いますし、着てみたいですね。デザインのことをそれほど知らない僕でもワクワクするので、プロが本気出してコラボレーションしたら、どんなものが完成するんだろうと楽しみです。
松田:岩手ビッグブルズのユニフォームをデザインすることで、毎回、地域の人たちが応援に来た時に、そのユニフォームを着ている姿を当たり前の日常として目にすることになります。つまり、非常にカジュアルに知的障害のある方々の仕事と接点を作ることができるのです。
一方で、アート作品などに触れる機会があっても障害のある方と直接コミュニケーションする機会は、一般の方々にはそれほどありません。そういう意味では「リアリティ」が不足しているんじゃないかという課題を感じている部分もあります。
だからこそ、鳥海選手のようなアスリートを見ていると、その影響力の大きさを感じますね。アスリートとして普通にプレーして、しかもその姿がメチャクチャかっこいいということには、とても「リアリティ」がありますし、社会に与えるインパクトは大きいと思います。
鳥海:今度、実際に作品を作っているところを見学させていただきますが、逆にヘラルボニーの皆さんに試合を見ていただく機会もあると思うので、そうした時に、お互いどれぐらいパッションを与えられるか、というのは非常に楽しみですね。
伊藤:鳥海選手が来てくださることで、勇気づけられる方々も多いと思っていますし、交流することで、ものすごいシナジーが生まれるんじゃないかと期待しています。
実際、3年前に復興記念ユニフォームをヘラルボニーに制作してもらうことで、現在では障害のある方も会場に来やすくなって、これまで存在していたハードルが下がったと言えます。こうした成果は本当に嬉しいですね。
松田:会場にバリアフリーの客席を作るといったハード面の整備はお金があればできるかもしれません。でも、ソフトというか精神的な部分で障害のある方々の来場のハードルを下げる環境を作るのは難しい部分がある。そうしたソフト面の整備に寄与できることが「スポーツの力」だと思いますね。
一人一人の小さな声を大きなものに変えるアスリートの影響力
-社会課題解決のためにアスリートの影響力をどのように活用していけば良いでしょうか?
鳥海: 僕たちは、街や社会に対して「もっとこうしてほしい」と思うことが多い。例えば、よく「ここに段差があることに気づいてください」と感じるのですが、これは健常の人たちには気付けないポイントだと思います。だからこそ、自分が発信しないといけないことだと、思っているんですが、マメじゃないのであまり発信できてないのが現状ですね(笑)。
ただ、自身の影響力は活用していきたいですし、言葉一つ一つにこだわって自分が社会に対して、何を伝えたいかというのは常に考えています。
松田:非常に重要な視点だと思いますね。ここにくる前に百貨店のポップアップストアにいたのですが、そこに車椅子の方が来店したんです。その店舗ではレジを1箇所に集中させているため、商品を購入する時に別のフロアに行かなければならなかったのですが、それが厳しいということで、うちの社員が支払いを代行しました。これは改善しなきゃ行けないと思って、明日にでも百貨店にも伝えていきたいと思っています。
こういう一人一人の小さな声を大きな声に変えることができるのがアスリートの力だと思いますし、厚労省や経産省の有識者委員会にアスリートの方が入ったりすれば社会の前進するスピードも変わると思いますね。私も法改正などに向けてロビイング活動などをされている障がい者団体の方々とよくお会いしますし、そういう方々の活動も素晴らしいと思います。ただ、そうした団体の方々も発信力という点では課題を抱えていることが多いです。
伊藤:私は選手時代、岩手県内では一定の発信力があるとは思っていましたが、一方で社会の一員だという意識も常に持っていました。
日本では、プロスポーツ選手が「社会とかけ離れた特別な存在」と思われている部分があるように思います。スポーツ選手として順風満帆で大学、社会人、プロと来たアスリートの中には、「社会の一員」という意識がちょっと薄い人もいます。
なので、例えば身近にある社会課題に対して「自分には関係ないもの」と思ってしまう部分があることが、まだまだ課題だと感じています。周囲やチームから、「こういうことやった方がいいよ」と言われて始めるのではなくて、自分の中で感じている課題を、スポーツの影響力を活用して解決していくといった方向に向かってほしいですね。
自分にとって居て心地よい「競技の世界」ではなくて、外部の方と会ったり海外に行ったり、物理的・精神的に外の世界、新たな環境に身を置くことで課題を見つけたり自覚を持つきっかけにしてほしいと思います。
鳥海:「外に出る」というワードには非常に納得感がありますね。僕も東京パラリンピック以降、いろんな方にお会いする機会をいただき、競技生活を送っているだけでは、行けない場所、会えない人たちと接することができました。そして、そういう経験を積んだからこそ、自分なりの社会課題を見つけることができたと思います。
「一緒にいるのが当たり前」の状況を作る
―障害のある方々にとっての現代社会の課題はどのような部分でしょうか?
松田:ある統計によると日本は51.9%の人が障がいのある人と深く触れ合ったことがないそうです。自分たちは知的に障がいがある方の領域で様々な活動をしていますが、「まず出会う機会がない」という課題はあると思います。
自分は現在、アートという分野でカジュアルな出会い方の創出に取り組んでいますが、今後はより直接的な出会いの機会を作っていくような業態も取り組んでいるので、障害のある方々と区役所の一角ではなく、街中で自然とコミュニケーションが発生するような状態を作っていきたいと思いますね。
鳥海:僕の小学校時代は、体育も図工もみんなと一緒にやっていたんですよ。周囲と同じフィールドで成長してきたことが、僕のメンタリティに大きく影響しています。
僕は50m走が1番遅かったですけど、「別の時間にやりましょうね」と分けられることもなくて。単純に番号順で一緒にタイムを取るというのが、自分にとっても当たり前だったんです。クラスメイトのみんなをライバルだと思っていましたし、周囲にとっても僕がいて当たり前という状況でした。だから機会を作るというよりも単純に「一緒にやればいいのに」と思うんですね。もちろん様々な課題もあると思いますが、あえて機会を作るというよりも、もっと単純なことのように思います。
そして、それを体現しているのが、ヘラルボニーだと思いますね。「未来の当たり前」を今表現している。今は異彩を放っている状態ですが、それをやり続けることで普通になると思いますし、それが目指すべきところだと思います。僕は今普通に義足で街に出ていますが、それが多くの義足ユーザーにとっても当たり前になっていって、それが街の自然な風景になるのが理想だと思います。
スポーツ×アート×福祉の掛け合わせで社会を前進させる
―最後に、今後の目標を教えてください。
松田:会社を4年ほどやっている中で、知的障害のある人の中でも素敵な絵を描く作家さんたちと契約させていただいています。そうした才能のある人たちにフォーカスをすることによってイメージを変えていく。それ自体が世の中にムーブメントを起こせる可能性があると思っています。
ただ一方で、私の4歳上の兄は絵を書くわけではないし、スポーツの分野で秀でているわけでもありません。そういった方の方が多いと思います。だから、「自分の兄が働くというのはどういうことだろうか」「自分の兄が最低賃金を超えるためにはどうすればいいのか」という課題に向き合っていける会社でありたいと思います。そこを変えることができてこそ、本当の意味でのイノベーション。この課題に真摯に向き合っていくために、プロジェクトや事業を立ち上げていこうと考えています。
伊藤:現代社会においては、マイノリティの方々が生きづらい部分もあると思いますし、その意味では、まだまだ伸び代があると思っています。何らかの生きづらさを感じている方々に向けて、スポーツ×アート×福祉でムーブメントを起こすことによって社会を前進できるようにする。それが自分の使命だと思って、頑張っていきたいですね。
鳥海:僕はまず選手として結果を出すことが重要だと考えています。東京パラリンピックのように盛り上がりを作っていくことが、パラスポーツや車いすバスケットボールに関心を持ってもらうきっかけになると考えています。
それと同時に、普段生活する上でも義足や車椅子を「かっこいいね」と思ってもらうことが重要だと思っているので、単純に「クール」だねと思ってもらえるような見せ方を意識することが、僕なりの車いすバスケットボールの紹介の仕方だと思っています。
僕は普段から義足を使っているのですが、人の目に触れるようにあえて短パンをはくようにしています。義足や車椅子というと、福祉の文脈で捉えられがちですが、実は超かっこよくて洗練されているというところを見せたいと思いますし、僕自身もファッションの延長で義足を捉えている側面があります。
街で「あの義足なんだろう」「あの人ってなんかスポーツしているのかな」というように、街を歩いていてサラッと興味を持ってもらえるようにするのが、僕なりのパラスポーツの普及方法だと思っているので、そうした部分については自分が担っていきたいと思いますね。