2020シーズンをもって現役引退した元サッカー日本代表・中村憲剛さんは、18年間を過ごした川崎フロンターレでの日々で「プロサッカー選手が社会貢献活動に取り組むことの大切さ」を痛感したそうです。
中村さんは、引退後もJリーグやアスリートが社会に対して持つ価値を伝え続けています。2021年12月には母校・中央大学で、現役のサッカー部員に向けて、自身のサッカー人生やアスリートの持つ価値について講演を行ないました。
今回は、サッカー人生を通して感じた社会貢献活動に取り組む価値や、コロナ禍における危機感。また、第二の人生を歩みはじめた自分自身のこれからについてお話しいただきました。
インタビュー:原大悟
写真・撮影:竹中玲央奈
プロ生活をフロンターレで始められて、本当に良かった。
僕はプロサッカー選手とは「サッカーをするだけでお金がもらえる良い職業」だと思っていました。でも、フロンターレに入って、それは違うと気付かせてもらいました。フロンターレは、自分たちからファン、サポーターの方たちや地域の方たちに歩み寄っていくクラブ。「ピッチで良いプレーをすればそれで良い」と考えていた僕にとって、驚きでした。
僕が入団した頃のフロンターレは、2000年にJ1に昇格したものの、1年で降格。J2で戦った2001年は、平均入場者数がすごく減りました。そこで、クラブが「調子の良い時だけでなく、うまくいかない時でもお客さんに来てもらえるクラブにしなければいけない。それには地元・川崎の人たちに愛されなければいけない」と考え路線を変更し、クラブとしてより地域密着・地域貢献活動に力を入れるようになりました。
僕は、その土台が少しずつでき始めた状態の2003年に加入したので、活動の多さ・近さに最初は少し面食らったものの、すぐに「プロはそういうものなんだろう」と思ったので活動への抵抗はありませんでした。のちにフロンターレがずば抜けて多かったという事を知るのですが…(苦笑)、むしろ地域の方たちと触れ合うことは楽しかったです。触れ合うことで得られたこともたくさんありましたし、プロ生活をそのような哲学のあるクラブでスタートし、人間的にもサッカー選手としても大きく成長させてもらって引退できたので、本当にフロンターレに入って良かったと改めて思います。
活動を通して、誰に支えられているかを可視化できるんです。
スタジアムでのプレーだけではなくピッチ外のイベント、例えば商店街挨拶回りや多摩川の清掃活動、病院訪問などで地域の方と触れ合う機会が多ければ多いほど、応援してくれている人の存在を知ることができる。僕は、大学までピッチ外での地域の方たちとのコミュニケーションをあまり取ってこなかったんです。フロンターレに入っていなければ、そういった方たちの存在や支えには気付けなかったと思います。
結局大事なのは、人との繋がりだと思うんです。繋がりができれば、思いやりや支え合う心が生まれる。地域の方も、選手と直に触れ合うことで親近感が湧き応援してくれるようになる。コミュニケーションから相手の考え方を知ることができて、感情が生まれる。だから、「応援しよう!」と思ってもらえるんです。行動したからこそ繋がりが生まれ、自分自身の関心を広げることもできました。
ピッチ外での存在意義を再認識した、陸前高田での出来事
サッカー選手のピッチ外での存在意義をより実感できたのが、東日本大震災の被災地・陸前高田への訪問です。
「津波で学校の教材が流されてしまった。フロンターレが作成している算数ドリルを教材として学校に送ることはできないか」とクラブに相談が来たのが交流のきっかけです。それからは毎年、選手が陸前高田の学校を訪問するようになりました。それと同時に陸前高田から川崎に応援に来てもらえるようにもなって、相互に支え合う関係になりました。
最初に訪問をした時は、「震災が起きてから半年も経っていない被災地に僕らサッカー選手が行って、果たして何ができるんだろう。彼らにとっては必要ないかもしれない」というのが正直な気持ちで、不安でしたし、怖かったです。先生方は「ぜひ来てください」と言ってくれましたが、半信半疑のまま、現地に向かいました。
最初は生徒たちもサッカー選手を目の前にして緊張していましたが、ボールを使ってパス交換をすると笑顔になってくれたんです。この時サッカーのすごさを実感しました。先生たちに「サッカー選手ってすごいですね」と言われた時に、ようやく来て良かったな、と。帰り際に子どもたちや街の方たちに笑顔で「また来てねー‼」と声をかけられたこともとても嬉しかったです。自分たちはスタジアム以外でも存在意義があるんだ、と心から実感した瞬間でした。
これまではフロンターレの選手として訪問していたんですが、今年(2021年)2月に初めて一人で陸前高田に行きました。選手ではない立場だからこそ、経験できたことがありましたね。
今年はコロナ禍でもありますし、クラブが参加することは難しいということで、今回は僕がFRO(※)という立場で訪問させていただきました。ほぼ毎年訪問していた僕からするともはや「帰ってきた」という感覚の方が正しいかもしれません。これまではチーム単位で動いていたので限界はありましたが、今回は1人だったので、地域の方と、これまでよりもたくさん話すことができました。独り占めでしたね。
※FRO:Frontale Relations Organizer(川崎フロンターレ リレーションズ オーガナイザー)の略称。引退後も川崎フロンターレでのアカデミー、普及・育成部門での活動を中心にしながら、地域貢献活動など様々な活動に携わる。
「コロナだからできない」ではなく、「じゃあどうするか」
こうした経験から考えると、現状にかなり危機感を抱いています。コロナで応援してくれる方たちとダイレクトに触れ合う活動が制限されて、そういった活動を「やらないことが日常」という選手が増えている。触れ合うことで生まれる繋がりが、現在は残念ながら断たれてしまっています。
なので、「コロナ禍だからできない」ではなく、「コロナ禍だからこそどうするか」という発想に選手もクラブもより変えていく必要があると思います。
去年、緊急事態宣言が出された時期に、SNSを始める選手が多くいました。ファン、サポーターのみなさんのことを考えれば、個人的にはとても良い傾向だなと思ったのと同時に、発信の仕方も責任が問われるので、より注意深く行わなければいけないなとも感じました。
SNSは投稿前に誰かに相談する必要はありませんし、ボタン一つ押すだけで発言が世界中に発信されてしまう。これは思いの外危険なことだと思っています。その危険さをそこまで理解していない選手も中にはいるし、実際に炎上してしまうケースも目にすることもありました。
アスリートとして、自分の持っている影響力を改めて自覚する必要があります。それは僕も同じです。SNSは使い方ひとつで正反対の顔を見せることが多々あります。なので、Jリーグとしてもリテラシーの部分で選手をサポートする体制を更に強化することが必要だと思います。
誰かに相談しながら、順序立てて進めていけば、同じベクトルを持った人たちが集まり、必ず良い活動になる。僕はフロンターレで何回もそういった経験してきました。良い活動にするために、詰めるところは詰めていかないといけません。
プロサッカー選手の影響力を考えると、自分ひとりだけで何かをやろうとするのは難しいし、リスクもあります。その時はクラブが積極的に選手の話を聞いてあげて、実現したい思いを一緒に考えてあげることが大切です。
Jリーグには『シャレン!』という取り組みがあります。今年、そのオンラインイベントに出席した時に、ツエーゲン金沢のキャプテン・廣井友信選手が金沢のホームゲームでフードバンク活動を行い、サポーターの方たちが食料をたくさん持ってきてくれた話をしてくれました。
廣井選手が先頭に立ち、選手有志で「ホームゲームでフードバンク活動をしたい」とクラブスタッフや地域の方と相談して実施したら、当日にすごい量の寄付が集まったと。「選手が手を上げ活動の趣旨を周囲に告知をしたこで、みんなが協力をしてこれだけの成果が生まれた」という事実、選手たちが自ら地域貢献活動に積極的に参加することで、計画段階からクラブスタッフ、自治体の方たちやサポーターの方たちなど多くの人を巻き込んで成功させることができたという話をしてくれたんです。素晴らしい活動だと思いましたし、全てのクラブでやった方が良いくらいの活動だと思いますと、そのイベントの時にコメントさせていただきました。
年間25,000回も活動してるのに、全然知られていない
「誰かのために自分が力になりたい」と思うその気持ちが大事であり、「自分たちがプレーしている地域の方たちに元気になってほしい、笑顔になってほしいと思ってする活動に悪いことなんてなにひとつない」という信念を持って18年間地域の皆さんと共に歩んできました。その信念があれば、周りの揶揄する声には耳を貸す必要はないと思います。
現役の選手には、「とにかくやってみる」と伝えたいですね。企画ひとつにしてもやらないより、やってみる。迷ったらやる。全てがうまくいくわけではないけど、失敗したら反省を活かして、「次はこうしよう」とみんなで考えればいいんです。やらなければ、一歩前に踏み出さなければやってみたことが成功か失敗かもわかりませんから。
実は、『シャレン!』が発足は村井さん(村井満・Jリーグチェアマン)と僕とのある媒体で行われた対談がきっかけになったと、後に村井さんに言われました。
当時僕の中で、各クラブがJリーグの掲げる百年構想、地域密着や地域貢献活動をそれぞれの立場で取り組んでいる中で、そこを取りまとめる立場であるはずのJリーグの動きがいまいち見えなかった感覚があったんです。なので、その時の対談で僕から村井さんに「選手やクラブは頑張っています。Jリーグは何かやってるんですか?」と生意気にも直接伝えたんです。今振り返ると、あまりの言い方にぞっとしますが(笑)。
それから1年ほどで発足したのが『シャレン!』でした。創立パーティに招待していただき、ステージに登壇した時に村井さんから「これが答えだ」と言われました。改めて村井さんの決断力と行動力のすごさを痛感した瞬間でした。
Jリーグは58クラブまで増えましたけど、大なり小なり活動を合わせると、年間25,000回にもなるんです。知っていましたか?
例えばフロンターレであれば、発達障がいの子どもたちを試合に招待する企画を、ANAと富士通、川崎市役所のみなさん、試合の対戦相手だった大分トリニータさんと一緒に実施しました。これが「2020Jリーグシャレン!アウォーズ」で、Jリーグチェアマン特別賞を受賞したんです。
それ以外にも、先ほどのツエーゲン金沢の事例や、ガイナーレ鳥取は地域の人と一緒に芝生を植える活動をしていたり。こうしたJリーグの取り組みを、もっと多くの方に知ってほしいですし、もっとみんなで広げていくべきだと思うんです。そうすることでアスリートの活動に価値があるということを当の本人たちがより実感できると思うんです。
引退してサッカー界の外に出てみると、まだまだそういった取り組みが認知されていないと痛感しました。引退後、多くのイベントに出演させていただいていますが、そのようなテーマの時は聞いてくださっている方たちに、Jリーグやクラブの活用の仕方を訴えかけるようにしています。是非、JリーグやJクラブ、Jリーガーを使ってくださいと。やるかやらないか、言うか言わないかの違いは先ほど話した通りです。これからの自分の立場でJリーグの価値や、各クラブの活動を地道に伝えていきたいです。
もちろん、成功ばかりじゃないだろうし、苦しい時もあると思います。それでも、続けないと分からないこともいっぱいあります。物事が動く時は、人と人の繋がりと、そこに生まれる熱量がベースですから。それはフロンターレで18年間やってきて、色々な経験をしたから言えること。そこに信念があれば必ず人はついてきますし、想いの輪が広がれば広がるほどそれがパワーになり、みんなをサッカーで笑顔にすることができます。みんなで頑張りましょう。