2022年3月23日(水)、車いすバスケ・鳥海連志選手(WOWOW)が母校・大崎中学校(長崎県西海市)にて講演と車いすバスケの体験会を実施しました。本イベントは、「HEROs LAB」という取り組みの一環として開催。現役・引退アスリートが母校の生徒に直接メッセージを伝える、次世代応援企画となっています。
https://sportsmanship-heros.jp/action/lab/
東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した、車いすバスケットボール男子日本代表。その立役者として活躍したのが、大会男子MVPを獲得した鳥海選手です
日本選手団最年少として出場した2016年のリオオリンピックの際に通っていた母校。鳥海選手にとっても思い出深い地で、車いすバスケを通じて得た経験について伺いました。
9位から銀メダル獲得へ。諦めずに続けたことが結果に
ーまずは東京パラリンピック、お疲れ様でした。2016年のリオパラリンピックに引き続き2回目のパラリンピック出場となりましたが、いかがでしたか?
まず、日本で行なわれたことは大きかったなと。リオパラリンピックの時とは違って、試合会場や選手村にいるスタッフの方と日本語で会話ができたのは嬉しかったですね。無観客でしたが、スタッフの方々含めてたくさんの方が応援してくださり、自国開催の強みを感じました。
ーやはり、自国開催となると特別な思いがあったのですね。
これまで応援してきてくださった方々へ「さらに成長した姿を見せたい」という思いが強かったです。無観客となりましたが、たくさんの方から反響をいただきました。これまで支えてきてくれた家族や友達、先生方へ少しは恩返しができたと感じています。
ーリオオリンピックでは9位と、メダルからは遠い結果で終わってしまっていました。当時の心境について教えてください。
チームとしては、世界トップレベルの高さとフィジカルに圧倒された大会でした。僕自身なかなか試合に出られず、虚しさや悔しさが多かったです。このまま競技を続けるべきなのかどうか、迷っていた時期もありました。一度バスケから離れて違うことに挑戦してみて、そこから進路を決めるのもありかなと。さまざまな感情と向き合いながら、がむしゃらに続けた5年間でした。
ーその中で東京パラリンピックまで5年間、続けられた原動力はどこにあったのでしょうか?
ずっと家族や担任の先生が応援してくれていたことが支えでした。「バスケを続けた方が良い」と声をかけ続けてくれていました。リオパラリンピックの翌年(2017年)にU23の世界車いすバスケットボール選手権大会がありました。5年後の東京パラリンピックよりも近い目標をおいたことは、良いモチベーションになっていたと思います。
仲間と助け合い、自分を活かす方法を見つける大切さ
ー5年間を乗り越えて東京パラリンピックのコートに立った時、どのようなお気持ちでしたか?
世界のトップ選手たちと試合ができると思うと、とても嬉しかったです。「5年間頑張ったからこそ、ここに立てる」と、誇りを持ってプレーできていたと思います。
ーチームとしては銀メダル、個人としては男子MVPに選ばれましたが、この結果はどのように受け止めていますか?
目標としていた「メダル以上」というのを実現できたのは良かったです。これまで世界大会で苦しみ続けていた日本の変化を見て、「成長したね」「日本が2位をとるのは当然」という声を多くいただきました。日本のバスケが世界から認められて、嬉しかったです。
ー実際に海外の強豪チームと対戦して、日本人選手との違いはどういったところに感じられましたか?また、その中でどのような戦い方を意識されていたのでしょうか?
海外選手は身体も筋肉も、僕ら日本代表チームより大きい選手が多いです。フィジカル面で不利な部分をカバーするため、日本はチェアスキルを磨いて東京パラリンピックへ臨みました。
あとは、とにかくディフェンスを強化しました。相手がどんな高さだろうと、どんなフィジカルの持ち主だろうと日本の守りを簡単には崩せなかったかなと。選手一人ひとりが戦術を理解しシステムで確実に守りきる、日本人らしい戦い方ができたからだと思います。自分たちもプレーしながら、「俺ら、ディフェンス強いな」と手応えを感じていました。
ー東京パラリンピックで、自分自身の自信に繋がったことはありますか?
僕はシュートが苦手で、あまり自信がありません。でもバスケはチームスポーツなので、仲間と助け合ってプレーするスポーツです。周りの選手がシュートを決めてくれるから、僕はシュートに至るまでのアシストをする。このように自分らしいやり方を見つけたことが、自信に繋がりました。何かひとつ苦手なことがあっても、他の部分に目を向けることで結果を出すことはできます。バスケに限らず、日々の生活においても意識できる考え方だと思います。
ー最後に、鳥海選手の今後の目標を教えてください。
結果にこだわってプレーしていきたいです。2022年に世界選手権があるので、今はそこに向けて取り組んでいます。2024年のパリパラリンピックに向けては、まだ進み出したばかり。世界選手権でどこまで戦えるかが重要になってきます。東京パラリンピックと比べて若手メンバーも増えると思うので、中心選手としてチームを引っ張っていきたいと思っています。
講演後は、希望生徒を対象に鳥海選手の指導による車いすバスケ体験会が行なわれました。生徒が体験する前に、「世界トップレベルで活躍する鳥海選手のプレーを見てみよう!」ということで、鳥海選手がシューティングを披露しました。
最初は緊張した面持ちでしたが、身体が温まるとどんどんシュートが入るように。鮮やかなシュートと、鳥海選手得意のティルティング(※)に、生徒たちも驚きの声をあげていました。
※ティルティング:車いすの片鱗を上げることで高さを出すプレーのこと
いよいよ体験会がスタート。まずは基本となる、前後に漕ぐ練習から始まりました。簡単に見えて意外と操作が難しい車いす。いざ乗ってみると生徒たちも苦戦している様子でした。恐る恐る漕ぐ生徒たちを見て、鳥海選手は「もっと早く!」と声をかけ、「競技中のスピードはこれくらいだよ!」と自ら漕いで見せる場面もありました。
続いて、シュート体験が実施されました。一人ずつゴール前まで漕いで、鳥海選手からのパスを受けて、シュート。最初は距離が足りないシュートも多かったですが、徐々に応援の声とともに決まるようになりました。
その後はチームに分かれて試合形式に挑戦。最初は消極的だった生徒たちも、鳥海選手の声かけを受けて徐々に積極的にパスをしたりシュートをしたりするように。最後に行なわれた先生チーム対生徒チームの試合は大いに盛り上がり、体育館が応援の熱気に包まれました。
最後は、生徒たちから鳥海選手への質問タイム。多くの生徒が手を挙げて積極的に質問をしていました。 中でも、鳥海選手の競技への向き合い方に関する質問が多くありました。「試合で緊張する時、どのように緊張と向き合っているのですか?」という質問に対しては、「ミスしても良い、くらいの気持ちで
プレーしています。重く捉えすぎないことが大切だと感じています」と、チャレンジ精神を忘れずプレーしていることを伝えられました。
「試合前にモチベーションを上げる方法は?」と聞かれると、「イメージトレーニングをたくさんしています。パス、ドリブル、シュート、車いす操作全て、良いプレーも悪いプレーも含めてイメトレしてみてください」とアドバイス。
「試合で上手くいかない時にどうしているのか」という質問へは、「まずは仲間とコミュニケーションをとるようにしています。何が上手くいかないのかを話し合うことで、解決する部分も多いです」と仲間を頼る大切さについてお話しされました。
さらに、食事で気にしていること、フリースロー前のルーティーンについて、競技用車いすの値段といったリアルな内容まで、幅広い質問が寄せられました。
今回のイベントを通じて、確実に鳥海選手と後輩たちの距離が縮まったように感じました。西海市から誕生したヒーロー、鳥海選手。皆から愛され、応援されている温かい様子が伝わる一日となりました。鳥海選手の背中を負うように、さまざまな分野で活躍する次世代のヒーローがここから誕生することを願ってやみません。