著者:瀬川泰祐

2012年ロンドンオリンピックでの女子団体の銀メダルを皮切りに、リオデジャネイロオリンピックでは3個のメダルを獲得するなど、徐々に力をつけてきた日本の卓球界。そんな日本卓球界を牽引してきた男がいる。松下浩二さんだ。松下さんは現役時代、日本初のプロ卓球選手となり、海外挑戦を果たすなど、卓球界の先駆者として、道なき道を切り開いてきた。また引退後には、「Tリーグ」の初代チェアマンとして、日本初のプロ卓球リーグ設立に尽力するなど、いまも日本卓球界の未来を創造し続けている。

そこで今回は、松下さんが2020年9月8日(火)にHEROs LABに登壇して語ったTリーグ誕生秘話などをもとにしながら、チャレンジをし続ける松下さんの人生とTリーグの現在(いま)に触れてみたい。

Jリーグの開幕で膨らんだプロ化へのイメージ

現役時代の松下さん ©卓球王国

明治大学在学時から世界の舞台で戦っていた松下さんは、大学卒業後、協和発酵(現:協和キリン)に入社し1992年のバルセロナ大会でオリンピック初出場を果たす。その翌年には日産自動車に移籍し、日本卓球界初のプロ契約選手となった。その後、グランプリへの移籍を経て29歳の時にドイツ・ブンデスリーガへの挑戦を決意。その挑戦の背景には、当時、世界ランク50位以内の選手の半数がそこでプレーをしていた事実に加え、将来日本で卓球のプロリーグを設立するために、その仕組みを学びたいという狙いがあったそうだ。

松下さんが日本に卓球のプロリーグを設立したいとイメージを固めたのは、日産自動車時代のこと。サッカー界がJリーグ開幕を控え、横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)の選手たちがアマチュアからプロに移行し、待遇が激変したり、ファンが増加したりするのを目の当たりにし、「いつか卓球界もこのような環境にしたい」という気持ちが芽生えたという。その後、松下さんは、9年に渡って海外でプレーし、オリンピックに4大会出場するなどの実績を積み、2009年1月に第一線から退いた。

なお、松下さんは、選手としての活動と並行して、ビジネスにも力を注いていた。他の卓球選手たちに競技に集中できる環境を与えるべく、マネジメント会社「チームマツシタ」を設立し、スポンサーや所属クラブ探しなど、選手のサポート活動を行っていたのだ。その背景にあったのも「日本卓球界のために貢献したい」という強い思い。松下さんはビジネスを拡張させながら、経営者としての実績を積んでいく。「ビジネス面で利益を生み出し、それを卓球界に還元しよう」と、卓球メーカーであるヤマト卓球(現:VICTAS)の社長になることを、当時社長だった鈴木英幾さんに志願する。そこで13億円の赤字や従業員を引き受けるといった条件を提示された松下さんは、大学時代の恩師で実業家の兒玉圭司さんに相談をし、兒玉さんが当時社長を務めていた会社がヤマト卓球を買収することが決まり、さらに松下さんがその会社の社長に就任することとなった。

チャンスを逃さないという執念がTリーグ設立を推し進めた

HEROS LABでTリーグ誕生秘話を語る松下さん

松下さんは、赤字を抱えていたヤマト卓球を31億円の黒字にまで復活させるなど、経営者としての実績を積んだのち、「もっと卓球界全体のために貢献したい」と、いよいよプロリーグを設立するために動き出した。卓球協会内にトップリーグに発展させるためのプロジェクトチームを2016年に立ち上げ、同年12月には協会から新リーグの承認を受け、その3カ月後の17年4月には「一般社団法人Tリーグ」が設立された。

チームもなければスポンサーもゼロの状態からスタートしたものの、チーム設立からスポンサー集めまで懸命に準備を進め、「3年はかかる」と言われていた準備を1年半という驚異的なスピードで仕上げ、2018年10月24日に両国国技館に5624名の観客を集め男女計8チーム、約80名の選手たちに夢を託したTリーグが幕を開けたのである。

「立ち上げるのは今しかないと思った」と松下さんが振り返るリーグ開幕の裏には、それまで松下さんが積み重ねてきた実績と、「絶対にやりきって卓球界を変える」という彼のほとばしる情熱があった。おそらく勝負の世界で生きてきた松下さんならではの「勝負所を掴む」感覚があったのではないだろうか。

卓球だからこそできる地域貢献の形

松下さんはそんなTリーグを「日本卓球界にとっての強化・育成・普及の三本柱を実現するための場である」と説明する。この三本柱の狙いは下記の通りだ。 

(1)強化

「日本はJOCエリートアカデミーで選ばれた中学生以上の選手だけが24時間365日卓球に打ち込むことができる環境であった。しかしプロチームを作ることで、広く卓球ができる環境を整備していくことを目指し、努力して卓球を続けていけばプロ選手になることができ、オリンピックでメダルを獲得することもできるという夢や希望を与えていきたい。」

(2)育成

「卓球界の頂点に立つ中国は幼少期から200を超えるトレーニング施設で組織的に選手を育てている一方で、日本にはそのようなシステムがない。6歳以下の育成機関をクラブが持つことをリーグ参入条件として設けることで、組織的に選手を育てる環境を作ることを目指す。」

 (3)普及

「3歳から100歳まで誰もが行えるスポーツである卓球を普及させ、体を動かしたり、友達と話して元気になったり、世代を超えた繋がりが生まれることで健康増進や地域社会に貢献していく。加えて育成機関など普及の現場で引退した卓球選手が自らの経験を伝えていく場を与えることにより、セカンドキャリアの構築に繋げていくことも併せて狙っている。」

この3本柱の中でも松下さんは「日本全国にある全ての市区町村に一つは卓球クラブを作ることを目指したい」と、普及の部分を強調して話す。その背景には、「卓球というスポーツが地域に根付き、さまざまな世代の人が一緒に楽しんでいる」という松下さんがドイツやスウェーデンで見た原風景がある。スポーツの良さの一つはコミュニティが形成できることにある。「サッカーや野球といったスポーツはチーム運営費が高額なため新規参入が難しいが、卓球は1チームあたりの運営費が2〜3億円なので、小さな市区町村でも“おらが町の卓球クラブ”を作って地域を盛り上げることができる。そのクラブが出来上がることにより、みんながスポーツを楽しみ、また真剣に勝負ができる場所を提供していきたい」とスポーツを通じた地域貢献を行っていきたい考えを口にした。

Tリーグの現在地

©T.LEAGUE

開幕した年は、ファイナルでも5000人を超す観客を集めるなど、注目を集めてシーズンを終えたTリーグだったが、2シーズン目の今年は思わぬ難局に直面することになった。新型コロナウイルスの影響により3月からシーズンが中断、さらに4月にはプレーオフファイナルを中止せざるを得なくなったのだ。そうした中でも何とかTリーガーたちの活躍の場を創出したいと、松下さんは日本代表選抜チームとTリーグ選抜チームが対戦する「2020 JAPANオールスタードリームマッチ」の開催に向けて舵を切った。このイベントの開催に向けては、中継の映像制作費と会場設営費の一部をまかなうという名目でクラウドファンディングが実施され、当初の目標金額であった300万円を大きく上回る約1090万円もの支援金が集まるなど、現在もTリーグへの関心が高いことは証明された。そしてようやく、リモートマッチではあるが、2020-21シーズンが11月に開幕することも発表され、それに向けて現在も準備が進められている。

©T.LEAGUE

このように現在も多くの人を動かしながら前に進むTリーグ。松下さんが先頭に立って作り上げたプロリーグが、これからどのように社会に影響を与えていくのか。その真価が発揮されるのは、まだこれから。今後のTリーグと松下さんの動向に期待したい。