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2020/09/01

パラ水泳界のレジェンド・河合純一と考えるパラリンピック開催の意義

著者 : 瀬川泰祐(HEROs公式スポーツライター)

パラリンピックとは、いうまでもなく、世界最高峰の障がい者スポーツ大会であり、オリンピック、サッカーワールドカップに次ぐ、世界で3番目に大きなメガスポーツイベントだ。

このパラリンピックに、6大会で出場を果たし、金メダル5個を含む21個のメダルを獲得してきた「パラアスリートのレジェンド」がいる。元水泳選手の河合純一さんだ。河合さんは現在、日本パラリンピック委員会(JPC)の委員長等を務め、パラスポーツの普及や教育現場でパラリンピックを活用した教育、“パラリンピック教育”が広がることを目指している。

パラリンピックの開催を1年後に控えたいま、河合さんのこれまでの歩みとともに、改めてその意義を振り返ってみたい。

パラリンピックの歴史

パラリンピックは1948年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内にて開催された、車いす患者のアーチェリー大会が原点と言われている。イギリスのチャーチル首相らは、第二次世界大戦の激化により脊髄損傷となる負傷兵が増加することを見越し、兵士の治療と社会貢献を目的としてストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科を44年に開設した。その初代科長に就任したルードウィツヒ・グットマン卿はスポーツを治療に取り入れる方法を用いた。そしてロンドンオリンピックの開催に合わせて、車いす患者によるアーチェリー大会を開催したのである。

グットマン卿が「将来的にこの大会が真の国際大会となり、障害を持った選手たちのためのオリンピックと同等の大会になるように」と展望を語ったこの大会は、その後、毎年開催され1952年にはオランダの参加により130名の選手が出場する国際競技会へと発展を遂げた(第1回ストーク・マンデビル大会)。さらに1960年にローマでのオリンピックに合わせて開催された大会は後に「第1回パラリンピック」と位置づけられ、1964年の東京大会の際には「Paraplegia(下半身麻痺)」の「Olympic」という発想から「パラリンピック」という愛称がつけられた。その後この「パラリンピック」という名称は、1976年のトロント大会以降車いす選手以外の出場もあり「Parallel(並行)」という解釈になっている。

16名の選手たちによって病院でのスポーツ大会が起源となり始まったパラリンピックは、大会の持つ意義や競技も時代に合わせて変わりながら大きくなっていき、現在では159の国と地域から4342名ものアスリートが参加するメガスポーツ大会へと大きく発展を遂げてきたのである。

河合さんの生き様を通してパラリンピックを考える

2020年821日に行われた「HEROs LAB」に講師として登壇した河合さんは、オンライン上に集まった中高生に対し、パラリンピックのことを「人間の可能性の祭典」と説明した。

この言葉の通り、河合さんは、人間の可能性を示し続けた人生を送ってきた。生まれつき左目の視力がなく、15歳の時には、わずかに残っていた右目の視力も失い、全盲となった。しかし、5歳の時から取り組んでいた水泳で、17歳で出場したバルセロナ・パラリンピックで銀メダルを2個、銅メダルを3個獲得したことを皮切りに6大会連続でパラリンピックに出場。大学卒業後には全盲で初の中学校教師となるなど、様々な可能性を切り開いてきた。


教育者としての一面を持つ河合さんは、中高生に対して、さらにこう続けた。

 「Impossible(不可能)のImの間にアポストロフィーを入れるとI’m possibleという言葉に変わる。」

この言葉は「不可能だと思えていたことも、考え方を変えたり、少し工夫したりすれば出来るようになる」という造語で、国際パラリンピック委員会(IPC)の公認教材の名前として用いられている。こうしたパラリンピックを題材にして共生社会への気付きを促すパラリンピック教育は、“オリンピック・パラリンピック教育”として学習指導要領にも盛り込まれた。このパラリンピック教育から障がい者の生き方を学んだ若者たちが、共生社会の担い手になることを河合さんは期待している。

世界に例を見ない高齢化が進む日本でパラリンピックを開催する意義

世界の先陣を切って超高齢化社会へと突き進んでいる日本が抱える課題は、パラリンピックでの取り組みと重なる点が多い。例えば、視聴覚障がいを抱えている人や、車いすを用いた生活をしている人が感じている課題は、今後多くの人が直面する課題となるだろう。

これまで、パラリンピックの開催へ向けては、バリアフリー化に対する関心が高まったり、障害者差別解消法が制定されるなど、法整備も推し進められてきた。しかし、社会を変えるのは、制度ではなく、人である。制度が変わったところで、私たち国民の意識が変わらなければ、真の共生社会は実現しない。だからこそ、東京パラリンピックには、日本が共生社会を実現するための「社会的装置」としての役割を期待したい。

私たちは、2021年夏、パラアスリートたちの想像をはるかに超えたパフォーマンスを目撃するだろう。彼らが普段の生活の中で、どのような障壁に直面しているのか。どのように障壁を乗り越えているのか。未来の自分の姿を重ね合わせながら、想像を超えるパフォーマンスを目撃したい。そんな想像力を働かせたとき、初めて真の共生社会実現へ向けて、大きな一歩を踏み出すことができるのではないだろうか。

なお、河合純一さんが講師を務めた「HEROs LAB」はアスリートが講師となり、スポーツを通して培った価値や経験を、未来の担い手となる中学生・高校生に向けて発信するオンラインスクールだ。

HEROs LABでは今後も中学生、高校生に向けたオンラインイベントを実施予定とのこと。今後のイベント内容や申し込み方法についてはHEROs LAB特設サイトからご確認いただきたい。


著者 : 瀬川泰祐(HEROs公式スポーツライター)